援助だけで能がない アフリカ開発会議で空回りする日本外交
DIAMOND online 2008年05月29日
「残念ながら、アフリカの人々との本当の意味での交流というものを、政府や外務省の役人は、知らないですね」
筆者は昨夜(27日)、鈴木宗男氏と1時間にわたってアフリカについて論じた。オスマン・サンコン氏やジョン・ムルアカ氏を日本に紹介し、約20年余、アフリカ諸国に通いつめた鈴木氏が、その対話の最後に漏らした言葉がこれである。
第4回アフリカ開発会議(TICAD・Ⅳ)がきょうから3日間の日程で開催されている。前夜から、会場でもある横浜インターコンチネンタルホテルに泊まりこんだ福田首相は、40ヵ国以上の首脳と「バイ(二国間)会談」を行い、国内政治ではみられないような意欲をみせている。
日本の熱い思いと裏腹にアフリカ側はクール
福田首相の意欲は並々ならぬものであるようだ。今後5年間での対アフリカODA額の倍増を約束したのみならず、開会式直後には、25億ドル(約2600億円)規模の投資基金の設立を発表するなどアフリカ諸国への積極的な援助姿勢をアピールしている。
こうした大判振る舞いの背景には、当然ながら、相応の「見返り」を求める狙いがある。
具体的には、①日本の安保理常任理事国入り、②世界スカウトジャンボリー開催国、③世界税関機構(WCO)事務局長選挙、④国際刑事裁判所(IOC)裁判官選挙、⑤オリンピックの東京招致(一部の国)といった具合に、日本が国際社会で求める地位に着くための支持を得たいのだ。
実際に、最初の「バイ会談」となったガボンのボンゴ大統領との首脳会談でも、福田首相は、個別事案として、ODA額の倍増と民間投資のための基金設立を提示している。
だが、こうした日本政府の熱い思いとは裏腹に、アフリカ側は総じてクールであるようだ。横浜・みなとみらいの会場は、「熱気」とは程遠い状況だ。
常任理事国入りで失敗した2005年の悪夢
きょう(28日)、パシフィコ横浜会議センターでの全体会合の取材を終えたばかりのエチオピア人ジャーナリストのひとりに聞いた。
「こうした有意義な会議を取材することは幸せだ。しかし18時間もかけて日本までやってきて、会場に入って取材ができないのは極めて不可解だ。これからずっと別の会場でテレビモニターを見るだけだという。それならばコンゴに残ってでも取材できる。私たちはアフリカ諸国と日本の生の親善を取材しに来たのだ。まったく解せない」
会場から締め出されているのはジャーナリストだけではない。85ものNGOグループで入場パスが発行されたのはわずかに11人に過ぎない、しかも批判が出る前はわずか3枚だけの割り当てだった。
アフリカ開発会議開催への外務省の長年の努力は評価したい。だが、いくら努力しようともそのやり方を間違えていたとしたら……。
それは「無駄骨」であり、場合によっては「逆効果」ということにも成りかねないのではないだろうか。
外務省のお粗末な対応に接するにつれ、どうしても惨めな過去を思い出さずにはいられない。それは日本が国連常任理事国入りを目指した2005年の悲劇のことだ。
当時、日本の常任理事国入りには、191ヵ国の国連加盟国(当時)のうち3分の2の賛成(常任理事国5ヵ国を含む)が必要だった。だが、中国で発生した反日暴動を受けて、まずは常任理事国の中国が反対を表明、さらにはその中国と関係を深める53ヵ国のアフリカ諸国がこぞって態度を保留したのだ。
長年アフリカへのODA援助を行ってきた外務省はなすすべもなく、大票田を失うという敗北を味わった。
アフリカはいざとなったら中国につくという現実
今回のバイ会談でも、福田首相の依頼に対して各国首脳は、日本の安保理常任理事国入りについては一切「確約」じみたことを言っていない。どの国も「カネは取るが、言質はとらせない」という方針を貫いている。
2005年の悪夢がよみがえる。
国際社会での名誉ある地位を占めるため、外務省はこれまでにも涙ぐましい努力を重ねてきた。日本の対アフリカODA額は世界一でありつづけ、5年ごとのアフリカ開発会議の度に、外務省は、アフリカ諸国に多額のODA供与を約束してきた。だがそれが奏効することはなかった。なぜか。鈴木氏が語る。
「それは単にカネを与えるだけだからです。それでは本当の信頼関係は芽生えません。私はね、ODAだろうがなんだろうが、日本の国民から預かった大切な税金ですから、それは戦略的に使いましたよ。場合によってはODAを武器にも使いました。一度、エチオピアの大統領との会談では失礼なことがあったものだから、当時、官房副長官だった私は、責任を持って預かった2000億円の援助金を渡さないとさえ言いました。それで相手の態度が改まってから、初めて援助を再開したんです。そうやって直接会って、ぶつかってようやく信頼関係というのはできるもんです。でも、外務省も歴代の外務大臣も、そういうことをしてきてませんね」
当時の外務大臣は町村信孝だ。彼の採った戦術こそ、まさしく鈴木氏の言うように貧困な日本外交の象徴であった。
町村外相は、アフリカ各国に赴任した大使を東京に集合させた。飛行機で十数時間、アフリカに散らばった日本の大使は帰国する。そこで町村外相から放たれた言葉は、「安保理入りのために各々努力せよ」という直々の命令であった。
「そんなのは公電を打つことを指示するだけで十分ですね。私ならば、そんなヒマがあるのならば、アフリカ中の大使たちに、赴任国の首脳に向けて1週間、夜討ち朝駆けをせよ、と命令しますよ。そうやって現地の人たちと人間関係を作るほうがよほど有益ですね」
前出のエチオピア人ジャーナリストも、日本の外務省の戦略には否定的だった。
「アフリカが日本に感謝しているから日本に従うなんてことはない。いざとなったら、日本ではなく中国につく。それが現実だ。近年、アフリカでの中国の存在感は群を抜いている。日本の存在はいまやほとんど消滅している」
この言葉が示すように、アフリカにおける日本と中国の貢献の度合いはいまや圧倒的になっている。
たとえば、アフリカへの直接投資額は、日本の1億ドルに対して、中国のそれは40億ドルに迫る勢いである。さらに、貿易総額は中国は日本の2倍、進出企業数は約10倍、滞在国民数にいたっては100倍以上の人数である。中国のアフリカにおける圧倒的な存在感、それはとりもなおさず、日本の存在感の低下を意味する。
もはや外務省お得意の根拠のない楽観論だけで外交は動かないのだ。
正午過ぎ、みなとみらいの本会場から、モニタリングルームに向かうブリッジに、先ほどのエチオピア人ジャーナリストが佇んでいた。周囲には今年最大のアフリカ関係の国際会議とは思えない弛緩した空気が流れている。
インタビューのお礼かたがた、近づいて挨拶をすると、先方から逆に質問があった。
「わが国は7月のサミットにアフリカ代表として呼ばれている。しかし同じようにこのような対応をされるのならば、わざわざ取材にやってくる意味はない。あなたは、洞爺湖も横浜方式になるのか知っているか」
NGOを排除して、ジャーナリストたちをモニター室に押し込む。そして外務官僚自らは我がもの顔で会場を闊歩している。
TICADとは、一体誰のための会議か。いくら対アフリカ援助額を倍増させようと、こうした対応を繰り返す以上、再び日本政府には「2005年の悪夢」が再来するに違いない。
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