外交官いま昔
日瑞関係のページ (2002年5月11日)
筆者は先の第二次世界大戦中欧州に滞在した邦人の足取りを追っている。その中には外交官も含まれるが、彼らに対する評価は概して高い。戦時下においてそれなりに国益を代表し在留民を保護した。不思議なことに最近外務省の不祥事等に際し、そうした過去の外交官の名前に多く接する。
日にちは忘れたが連休明けの国会で青木盛久、元ケニヤ大使が
「私たちアフリカに関係する外交官は、アフリカのことをよく考えてくれる鈴木(宗男)先生には足を向けて寝られない」と証言した。青木大使は5年前のペルー大使館占領事件直後のタバコをくわえた姿の記者会見で、我々を驚かせた大使でもある。
一方今から半世紀以上前の戦争末期、トルコの日本大使館には青木盛夫という二等書記官がいた。一文字違いの名前から判断して二人は親子であろう。盛夫氏は欧州駐在の外交官の中で、最も枢軸思想の強かった人物の一人と言われている。当時の同僚は「(大使)館の空気はただ一人のアンカラ大王の跳梁によって、いつも重苦しく不愉快」という言葉を回想録に残している。アンカラ大王とは誰かは説明するまでもない。「子は親に似る」と言えば少し牽強付会だろうか?
鈴木議員に関係し、次のような記事もあった。
「鈴木宗男衆院議員の影響力を排除するため、外務省は2日、元欧亜局長(現欧州局長)の東郷和彦オランダ大使ら幹部三十数人の処分を発表する。」(毎日新聞4月2日)
東郷和彦氏は一卵性双子の弟で、兄はワシントンポストの茂彦である。兄のほうは痴漢常習者として最近禁固刑を言い渡された。そして二人は東郷茂徳(とうごうしげのり)外務大臣の孫である。多くの外交官を排出する同家では長男が茂の字を踏襲するようだ。
祖父は1937年にドイツ大使を務め、日本の開戦時、終戦時両方で外務大臣を務める。終戦に際しては米内光政海軍大臣と共に、ポツダム宣言の受諾を進言した。そして東郷家の場合は「親の心子(孫)知らず」か?
また最近の瀋陽の日本領事館の事件では新たな名前が登場した。
「阿南惟茂駐中国大使は九日、瀋陽の日本総領事館駆け込み事件で中国外務省を訪れ、劉古昌外務次官補に対し、中国武装警察官による総領事館への無断侵入を強く抗議し、連行された朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)の五人全員の早期引き渡しを求めた」(共同ニュース 5月9日)
大使は終戦時、東郷外相の意見に反対を唱えて抗戦を訴え、終戦時に「一死以テ大罪ヲ謝シ奉ル」と残して命を絶つ陸軍大臣阿南惟幾の子息であるという。まだ第二次世界大戦が現代史であることを実感させる。そして軍国日本時代の陸軍大臣の子息が駐日大使とは「歴史の皮肉」か?
さらには次の二人も確証はないが過去の外交官と結びついて考えてしまう。まずは昨年の田中真紀子外相との確執からこんな記事があった。
「柳井俊二駐米大使は27日、外務事務次官当時に任命したデンバー総領事が公金流用で懲戒免職処分になったことなど一連の不祥事の責任を取り、辞任する意向を外務省幹部らに伝えた。政府筋が同日、明らかにした。」(毎日新聞2001年7月28日)
柳井元駐米大使は、開戦時コロンビア公使を勤めた柳井恒夫氏の親族でなかろうか?あまり多い苗字ではない。恒夫氏はコロンビアから帰国後の1943年、ルーマニア公使を発令されたが渡航ルートが遮断され赴任することが出来なかった。
そして先の東郷元オランダ大使の記事にはもう一人の名前が出てくる。
「鈴木氏との密接な関係が指摘されていた東郷氏については帰国命令という形で大使を退任させるほか、鈴木氏の関与を許した監督責任を問うため野上義二前事務次官ら歴代事務次官も処分する見通しだ。」
田中外務大臣との確執で行われた記者会見に、ひげに覆われた顔で現れた野上次官は、外交官というより週末はログハウスで過ごす自然志向の父親のような印象を与えた。
彼はやはり苗字から判断して戦時中ローマ大学講師を勤めた後、 終戦時ドイツ大使館嘱託となった野上素一氏と関係があると思われる。そうだとすれば与謝野晶子と同時代で、作家としても母としても立派な業績を残した野上八重子の血筋である。
最近国民の信頼を失った外交官であるが、こうしてみてきたように一部断定出来ない部分はあるものの,最近マスコミに登場する人は例外なく親子外交官といえそうだ。難しい外交官試験を経ての結果であるが、二世が多く存在するのはなぜであろう。そして残念ながら「父親以上に立派」と言われる人物はあまりいないようだ。
かつて外交官はまさに日本国を代表したと言える。交通機関も発達していないため首脳同士の会見が困難であったからだが、今日では首相、外相は世界各国を訪問しその国の首脳と直接の交流を図っている。よって在外公館の使命は今日ほぼ終わった、と筆者は考えている。
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