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中日新聞 2007年8月13日 13時14分
イルカの死骸見つかる 東京・新河岸川で
13日午前9時40分ごろ、東京都北区の新河岸川でイルカが死んでいるのを住人が見つけ近くの交番に届け出た。警視庁などから連絡を受けた東京都がイルカを引き揚げた。・・・
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学者や報道関係者の抱き込みは日本の得意分野だ。利害関係のある国の人間、この場合、日本や中国の関係者は具合悪いので、英米の人間を使う。問題が発覚しても、第三者にとってどうでもいい問題であり、悪意の立証ができない。その分、簡単に請合ってくれる。
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自由民主党新憲法草案の一部
自由民主党新憲法草案の一部
(自衛軍)
第九条の二 わが国の平和と独立並びに国及び国民の安全を確保するため、内閣総理大臣を最高指揮官とする自衛軍を保持する。
2 自衛軍は、前項の規定による任務を遂行するための活動を行うにつき、法律の定めるところにより、国会の承認その他の統制に服する。
3 自衛軍は、第一項の規定による任務を遂行するための活動のほか、法律の定めるところにより、国際社会の平和と安全を確保するために国際的に協調して行われる活動及び緊急事態における公の秩序を維持し、又は国民の生活若しくは自由を守るための活動を行うことができる。
4 前二項に定めるもののほか、自衛軍の組織及び統制に関する事項は、法律で定める。
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自宅改築の際に1500万円受け取る
TBSニュース(31日21:35)
厚生労働省の前の九州厚生局長が現金や高級車などを受け取っていた問題で、前局長が社会福祉法人の前理事長から、自宅を改築する際に1500万円を受け取っていたことが分かりました。
この問題は、厚生労働省九州厚生局の松嶋賢・前局長が、補助金の交付先である大阪の社会福祉法人の「枚方療育園」、山西悦郎・前理事長から高級車や現金を受け取っていたものです。
厚生労働省は31日午後、都内で、松嶋・前局長本人から直接、事情を聴きましたが、この中で松嶋前局長は、2003年に自宅を改築した際に、山西前理事長から妻名義でおよそ1500万円を借り、返済していないことを明らかにしました。
また、「枚方療育園」の関連施設である埼玉県内の特別養護老人ホームに娘が就職したことを明らかにした上で、「就職はお願いしたが、職務には何の関係もない」と説明。補助金についても、山西前理事長に便宜を図ったことは一度もないと述べたということです。
厚生労働省は、松嶋・前局長に在職時の給与や退職金の自主返納を求める方針ですが、松嶋・前局長は、この方針に従う姿勢を示したということです。
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舛添厚労相もご立腹? 厚労役人「たかり」の数々
J-CASTニュース
うらやましい親戚をもった人のお話です」と、笠井信輔が口火をきった。厚生労働省の局長が、親戚の社会福祉法人の前理事長から、高級車や現金数百万円をもらっていたが、どちらもいけないこととは思っていなかったーー。ん?
受け取っていたのは、先週金曜日に退職した九州厚生局長の松嶋賢氏(59)。渡していたのが、大阪・枚方市の社会福祉法人「枚方療育園」の山西悦郎・前理事長(80)。妻がいとこ同士という関係だが、贈答の内容がすごい。
高級車が計3台。現在のはセルシオで譲渡時の価格が400万円。「買い換えるからいらない」ともらったのだと。最初が92年「退院祝い」、次が01年でキャデラック(ともにすでに廃車)。ほかに、新築祝いだリフォームだ餞別だと、数百万円単位で受け取っていたらしい。
2人の公的な関係は、認可・監督する側とされる側だ。当然ながら、「便宜をはかったのではないか」と疑惑がもたれるところだが、松嶋氏は「生活水準が違うから」「公と私は区別している」と悪びれた様子もない。たしかに片や法人資産360億円ではある。
松嶋氏は、いわゆるキャリアではないが、04年ノンキャリで初めて障害福祉課長に就き「ノンキャリの星」といわれたやり手。この前後に山西氏の11か所の施設のうち4つに、計10億4100万円の補助金が出ている。しかし、松嶋氏は「地方から上がってきたものに印をついただけ。いちいち見てない」という。
小倉智昭は「一方はお金持ち、一方はお役人。親戚だからといっても、世間はそうはみないね」という。とくに、松嶋氏の退職が微妙だ。「国家公務員倫理法」は、親族間のやりとりもダメとなっているのだが、適用されるのは、現職だけだ。氏は1週間前に、定年まで1年を残して辞めているのだ。
実はこの法律も、10年前の厚生事務次官の汚職事件がきっかけでできたもの。年金の「グリーンピア」もそうだが、厚労省には補助金をネタにした汚い噂がたえない。国の金にたかる構造は、法律くらいで変わるものではなかろう。
小倉も「立件するのは難しいんだろうか。補助金もらったら、1000万単位のバックがあってもおかしくない」というのだが。
頼みのひとつは、先に就任した舛添厚労相だ。この話には相当頭にきているらしい。これまでと違うところを見せるチャンスにするかもしれない。
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「便宜図ったことはない」 車受け取りめぐり前局長
中国新聞
厚生労働省九州厚生局の松嶋賢前局長(59)は30日、埼玉県内の自宅で共同通信の取材に応じ、社会福祉法人「枚方療育園」の山西悦郎前理事長から乗用車をもらったことを認めた上で、「便宜を図ったことはない」などと答えた。主なやりとりは次の通り。
-車をもらったのか。
「3台もらった。1台目は1992年ごろに国産の乗用車、2台目は01年ごろにキャデラック、3台目は05年11月にセルシオだった。法人でなく、個人としてもらったもの。新車でもないし、(妻同士が)いとこだから(もらった)」
-施設整備などで便宜を図ったのか。
「社会福祉法人がいつ(施設を)整備したのか記憶にないし、補助金の申請は県がまとめてリストを持ってくるので、1つ1つ見ていない。便宜を図ったことはない」
-車以外に金銭などをもらったことはあるのか。
「山西さんが上京したり、私が大阪に行ったりした際に10万円ぐらいもらった。『おまえたちも冠婚葬祭などで大変だろう。これで若い人たちに飯でも食わせてやれよ』と言われ、厚労省の課や局の職員に食事をおごったりした」
-その他には。
「20年ほど前に自宅を新築した時と、3、4年前にリフォームした時にそれぞれ数百万円の援助を受けた」
-国家公務員倫理法は知っていたか。
「知っていたが、法に抵触するとは思っていない。前理事長が施設をつくる際、私の妻の父親が借金の保証人になってあげたので、恩返しをしたいと思っていたのではないか」
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輸送艦(ウィキペディア)
輸送艦とは、輸送艦(ゆそうかん)とは陸上や他の船舶に対して武器弾薬や人員を輸送するための艦艇のこと。揚陸能力を持つ輸送艦は通常揚陸艦と呼ばれるが自衛隊では輸送艦に含まれる。
輸送艦(Hatena Diary)
軍隊輸送船とも。陸上部隊を大規模に輸送することを目的とした艦種
日本輸送艦列伝(第二次世界大戦)
輸送艦とは、敵勢力圏下への強行輸送・揚陸作戦用に開発された艦種である。名前のイメージから、物資運搬の為の支援型の船舶を思いうかべる向きもあるが、駆逐艦や潜水艦同様、艦艇に分類された純然たる戦闘艦艇である。
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報告:「京都メカニズムの活用について」
経済産業省産業技術環境局京都メカニズム推進室
ホットエアの購入については、マネーロンダリングのような可能性がある。購入したAAUはロシアで削減したAAUと思っていても、そうではない可能性もあることも考えるべき。
ホットエア
京都議定書で定められた温室効果ガスの削減目標に対し、経済活動の低迷などにより二酸化炭素(CO2)の排出量が大幅に減少していて、相当の余裕をもって目標が達成されることが見込まれる国々(旧ソ連や東欧諸国)の達成余剰分のこと。
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衝突1分前『右に漁船』 イージス艦発見遅れか 父子、依然不明
2008年2月20日 朝刊 東京新聞
海上自衛隊のイージス艦「あたご」(艦長・船渡健一等海佐、七、七五〇トン)が、新勝浦市漁業協同組合(千葉県勝浦市)所属のマグロはえ縄漁船「清徳丸(せいとくまる)」(七・三トン)に衝突した事故で、石破茂防衛相は十九日、緊急に開かれた自民党国防三部会で「あたごの見張り員が漁船を発見し、全力の後進をかけた。漁船はあたごの前方百メートルで大きく右にかじを切ったが、一分後に衝突した」と、事故の状況を説明した。清徳丸を発見するのが遅れたため、回避が間に合わなかったとみられ、海自側が責任を問われるのは必至の状況となった。
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●びっくり台風エピソード ~ビートルズ台風~
昭和41年に日本を襲った猛烈で超大型(最大風速80m/s、暴風半径が400km以上)が、6月末に房総半島の南東から北海道にかけて移動しました。
また、伝説の4人組グループ「ビートルズ」が6月末から日本武道館でコンサートを行うため台風の動きとは逆に北から南下して来日。
来日時には混乱はありませんでしたが、コンサート時には大混乱で警察もうんざり状態。
「台風」は本来の意味のほかに "社会に多大な影響を与えるもの" と言う意味で広く使われ、「ビートルズ台風」は当時のビートルズへの狂乱ぶりをなぞらえたものであります。
羽田へ上陸!ビートルズ台風
日本にもビートルズ台風が上陸しました。
ビートルズは日本武道館公演のため、1966年6月29日から7月3日までの5日間、日本に滞在しています。
日本政府は、この4人の若者に対して国賓と同等いやそれ以上の厳戒体制を敷きました。
羽田に到着した6月29日には 空港付近で一斉検問を実施、羽田への立ち入りは禁止され、高速道路は閉鎖されるという厳戒体制だったのです。
正当な理由のないものは、全く羽田空港に近づく事が出来なかったのです。
到着したビートルズは 外国の政府要人ですら全く例がないという空港の滑走路の誘導路から さらに滑走路を横切って、 当時の整備地区を走り抜けて 高速道路へと突っ走っていきました。
警視庁は羽田付近が混乱した時は ヘリコプターによる脱出作戦や滑走路にまでファンが飛び込んでしまって着陸できない事態まで想定し 横田基地への緊急着陸の対策までたてていたとの事です。
宿舎ヒルトン・ホテルは、常時一個中隊の機動隊員と150余名のガードマンが待機・警備するというものものしさ。
4人は、ヒルトン・ホテルからは当然パトカーの先導で武道館入り。武道館のコンサートでは、一万人の入場者に対して2500人の警官が会場に配置されていました。
後に明らかにされたところでは、ビートルズ滞日中の警備・厳戒体制のために動員された警官は延べ8370名、使われた経費は都合9000万円。
音楽アーティストに対する警備としてはまず前代未聞のことでしょう。
ビートルズ来日時の『超特別な過剰警備・厳戒体制』が日本国内で問題になった事は、当時の新聞を引っ張り出してごらん頂くとよいと思います。
※コメント:実際に台風が直撃しているのに、来日したビートルズを、「ビートルズ台風」と呼び、以後、新聞記事などの報道が混乱している。日本のサイトでは、「国賓並みの警戒」と言っているが、実際は、「オウム」などに見られる重要犯罪警戒態勢だった。大体、頼まれもしないのに、戒厳令を敷くのは、税金と人材の無駄遣いで、来日客に対する嫌がらせだった。もし、ビートルズに警戒が必要かたずねたら、必ず、「ノー」と言っただろう。
Showdown at Budokan(武道館での対決)
Japanese xenophobia(日本の外国人排斥運動)
ジャパン・タイムズ 2006/7/2
※ここには、ビートルズに対する日本の対応が正確に描かれている。他の日本のサイトは、新聞の受け売りで情報の元からウソで固められており、コメントできない。
8.6水害は陰謀だった可能性が強い。
7月14日台風4号が鹿児島を直撃した。
今回の台風4号に「マンニィ」という呼び名があることを知っている日本人はほとんどいない。もし、知っていても、日本とは関係ない外国の話だと思っている。
台風の誘導
人工地震
降雨
人工降雨
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日本が日付にこだわっており、かつこの事件にかかわっていたから、事件を日付では呼ばなかった。当初「同時多発テロ事件」と呼んだが、事件の呼び名としては全くナンセンスな呼び名だった。場所も犯人の名前も日付も示さない事件の呼び名を聞いたのはこれが始めてだった。
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歴史に残る大事件を引き起こすからには、当然日時は十分に検討された。しかも、真珠湾攻撃の事例も参考にされた。
真珠湾攻撃は軍事的には成功だったが、歴史を作ることでは失敗した。攻撃の瞬間の日付が、日本、アメリカ、ヨーロッパで異なっていた。日本では12月8日午前3時23分だったが、ハワイを含む欧米の国々では12月7日午前7時53分だった。これは歴史上の認識で後世に問題を残した。当然、日本はこの点を今回は考慮した。世界のどこでも統一された日付の時間帯の設定だった。技術的には、日付変更線が午前0時を超えた瞬間から数時間だ。すなわち、グリニッジ標準時で正午から数時間の間だ。米国の国内では、東海岸は早朝だが、西海岸は夜明け前だ。9.11テロで乗っ取られた飛行機は、くしくも午前7時54分に離陸した。これは、真珠湾攻撃開始時刻とわずか1分違いだった。しかも。この時刻、ほぼ全ての国が9月11日だった。これで、事件の呼び名を日付で呼ばせることに成功し、世界中の人々の脳裏に、9月11日を刻み込ませた。時間と時刻という点で、事件は米国東海岸で起こさねばならなかった。
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広島・長崎の原爆被害については、全く関係のない政治家やテロリストが被災地を訪問したり、強烈な反米演説を行ったりする。これは、異常な傾向で、一般の日本人ですら、被爆者を除けば原爆投下にはさほど関心はない。大体、日本の戦時中の死者数は、陸海軍の兵士や原爆被爆者よりも、通常爆撃での一般市民の死者数の方が多かった。
チェ・ゲバラ、カストロなど、世界の主要なテロリストは、ほとんど広島を訪れた。
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ロス疑惑事件再燃
2008/2/25 J-CAST ニュース
若い人にはもう、かすかな記憶しかないだろう。事件発生から27年、一時は日本中が知っていた「ロス疑惑事件」の三浦和義容疑者(60)が、サイパン島で現地警察に逮捕された。ロス市警の要請というが、日本では無罪が確定しているこの事件、いまになってなぜ?
そもそもは1981年に、三浦夫妻がロス市内で何者かに銃撃され、妻の一美さん(当時28)が意識不明の重態(後に死亡)、三浦氏も足にけがをしたという、「気の毒な日本人旅行者」の話。ところが3年後、週間文春が、「疑惑の銃弾」として保険金殺人を示唆したため、大騒ぎになった。
テレビのワイドショー、週刊誌、スポーツ紙…の大騒ぎの末、警視庁が動いて、逮捕、起訴となったが、銃撃事件は一審の無期懲役から高裁で逆転無罪、最高裁が検察の上告を棄却して03年、無罪が確定していた。ただ、三浦氏は、別の一美さん殴打事件では6年の実刑を食らって服役という、奇妙な展開になっている。
今回の逮捕は、新しい証拠が見つかったためというが、詳細は明らかでない。担当しているのは、ロス市警の未解決事件捜査班。01年11月に設立された7人(発足当初)の組織で、1960年にまで遡ってDNA鑑定技術など最新の法医学技術を駆使して調査。5年間で27件の殺人事件を解決しているという。今回も、その一環と思われる。
「すごいですね」とみのもんた。
杉尾秀哉「ロスは未解決事件多いですから」と状況説明。
意外やみのは、この事件をあまりよく覚えていないらしい。干されていた時期だったのか、「撃たれて死んだ一美さんですか? どうなるの、浮かばれないじゃない」なんていう。
平沢勝栄衆院議員が「実行犯は白いバンに乗っていたのだが、それが特定できなかった」などと蘊蓄を傾ける。実行犯を特定できなかったことが、事件の分かれ目だった。状況証拠は真っ黒なのに、「疑わしきは被告人の利益」になったわけだ。
ロス市警は、日本の捜査にも協力はしていたのだが、その裁判が無罪になっても、アメリカの裁判権とは無関係・独立だと、専門家はいう。起訴される可能性は高いと。
三浦氏の身柄はいま、サイパンの拘置施設。ロス市警へ移される予定だが、三浦氏が拒否すると、手続きに時間がかかることになるという。
この事件では、週刊誌、テレビ、新聞が三浦氏から名誉毀損で訴えられて、9割方負けたという、メディアにとってにがい思いのある事件だった。みのは当時、関わってはいないようでよかった。口の軽い人間はみんなひっかかったのだったから。
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ザトウクジラ本当に捕るの? 調査捕鯨船団出港
JanJanニュース 2007/11/19
■日新丸船団、ようやく出港
11月18日午前、山口県下関市南部町の「あるかぽーと」岸壁から、南極海鯨類捕獲調査を行う日新丸船団が出港していった。当初の出港予定日から3日遅れ、福田・ブッシュ会談の終了を待っていたかのようなタイミングに延期されての出港である。
今期(2007/2008)からザトウクジラを50頭捕り始めるとして、いわゆる反捕鯨国などから注目を集めている。オーストラリア環境相は自らYouTubeに登場してザトウクジラの捕獲中止を訴えたし、国際環境保護団体「グリーンピース」は数頭の南半球ザトウクジラに発信器を取りつけ、衛星で回遊行動を調査しつつ捕獲を牽制する。また、キャンペーン船のエスペランサ号を日向灘の南に待機させ、豊後水道を抜けて出てくる捕鯨船団を南極まで追跡しようとしている(関連サイト:グリーンピース・ジャパン)。
盛り上がりを見せている反捕鯨運動だが、実際にザトウクジラを予定通りの規模で捕獲するのかどうかについては、公開されている情報をつきあわせると現実味がないことがわかる。今回の捕鯨船団の陣容と、日本国内の鯨肉消費動向から、その可能性を説明する。
出港式が延期になり、係留中の日新丸と捕鯨船(11月15日、写真提供:Greenpeace)。
■人員が減った日新丸船団
17日、この捕獲調査の主体である日本鯨類研究所が、プレスリリースを発表した。
・第二期南極海鯨類捕獲調査(JARPAII)の第三次調査の出港について(pdf版)
はじめ、このプレスリリースにはhtml版とpdf版があって、本稿を書いた時点では前者は標本採集計画数を「クロミンククジラ850頭±10%、ナガスクジラ10頭、ザトウクジラ50頭」とし、後者は「クロミンククジラ850頭±10%、ナガスクジラ50頭、ザトウクジラ50頭」としていた。どちらかが誤記と思われるが、国際捕鯨委員会(IWC)に2005年に提出された計画書では、後者ということになっている(追記:前者は訂正するためか19日から削除された)。
私がここで注目するのは、船団の陣容である。プレスリリースの標題にもあるように、日本が1987年から行っている南極海鯨類捕獲調査は第二期に入っており、今回がその3回目となる。そこで「第三次調査」と銘打ってあるわけだ。
2005年にIWCに提出された第二期の計画書によれば、第二次までは、ミンククジラが850±10%(765~935頭)、ナガスクジラ10頭、第三次からはミンククジラが850±10%(765~935頭)、ナガスクジラ50頭、ザトウクジラ50頭を捕獲することになっている。頭数でいっても、1,000頭を超える規模であり、商業捕鯨が中止になる直前の南極海での捕獲規模の半分を超えるところまで拡大したといえる。それだけではない。ナガスクジラもザトウクジラも、ミンククジラよりかなり大型のヒゲクジラである。
国立科学博物館の海棲哺乳類(鯨類)図鑑によれば、ミンククジラのオトナ(雄)が6~9tなのに対して、ザトウクジラは30~40t、ナガスクジラは60~70tあるという。ざっくり計算しても、ザトウクジラは4倍、ナガスクジラは8倍の大きさということになる。つまり、調査のために処理するクジラの総重量は、最大でミンククジラ1,600頭分を超えることになる。十分に成長した個体ばかりを狙う商業捕鯨とは違うといっても、取り扱う重量からいえば、商業捕鯨時代の規模までもう少し、という規模である。
ところが、今回の総乗組員は、昨年より25人も少ない。過去2年間よりも、クジラの処理規模は1.5倍を超えるのに、である。標本採集船(捕鯨船)の乗組員も昨年より3、4人少ないが、いちばん目立つのは、捕鯨母船、つまりクジラを採寸したり解体したりする日新丸の乗組員数が9人少ないことだ。その一方で捕鯨作業に直接従事しない(財)日本鯨類研究所の調査員数が18人と、こちらは三次までのなかで最も多い。
全体の構成比でみると、調査員が増えて、実際の解体加工業務に従事する乗組員が、前回、前々回より減っていることになる。乗組員1人当たりの作業量は倍増といってもいい。そんなことが可能なのだろうか。
可能だとすれば、これまで「遊ばせすぎていた」ことになる。一般企業では考えられないだろう。順当に考えれば、作業量が増えるのである。しかし労働環境の安全を確保するという意味ではむやみには増やせないだろう。この陣容が、捕獲計画をフルスケールで展開するとは考えにくい第1の理由である。
ではなぜ人員が減ったのか、ひとつは実際の調査計画が公表されている規模よりも小さい可能性がある。もうひとつは、辞退者が多く補充が追いつかなかった可能性がある。今年、日新丸船団は2人の犠牲者を出している。1人は南極海での火災の際に逃げ遅れ(2月)、もう1人は北西太平洋で作業中に事故で亡くなった(8月)。その後、職場環境は十分改善されたのかどうか、本人に意欲があっても家族が乗船に反対したっておかしくはない。
■身の丈の3倍ある捕獲計画
第2の理由は、この捕鯨船団の冷凍倉庫の容量である。この船団はもともと、日新丸の冷凍倉庫が1,750t程度、目視船である第2共新丸が250t程度といわれている。これで約2,000t、南極と北西太平洋と、同船団が従事している捕獲調査で持ち帰ってきて販売に回される鯨肉(脂肪層、内臓を含む)は多くても2,100tほどだった。第一期調査の時代は、最大でミンククジラ440頭が捕獲されていた。
では第二期に入り、捕獲規模がミンククジラだけでも倍近くに増えてからどうしたかというと、冷凍倉庫付きで燃料補給ができるオリエンタルブルーバード(パナマ船籍)が登場する。この船は、船団と常に行動を共にするわけではない。船団がある程度捕獲・処理を進めたころに南極海に到着し、各船に給油し、箱詰めされた冷凍鯨肉を転載して日本に持ち帰ってくるのである。
その規模は第一次(2005/2006)には約1,500tだった。第二次(2006/2007)は日新丸が火災を起こしたことで捕獲が中断され、約1,000tを積み替えて持ち帰るにとどまった。同船がどれほど積載可能なのかは不明だが、計画書通りに捕獲し、第一期と同じ程度の歩留まりで鯨肉や脂肪層を採取して持ち帰るとするならば、全体の量は6,000tを超えてもおかしくはない。つまり日新丸船団「2杯分」を、オリエンタルブルーバードに持ち帰ってくれるならば、それくらいの鯨肉生産量が可能、ということになる。
ただし、それが可能かというと、容量もさることながら同船のチャーター料が問題になるだろう。日新丸船団が満庫になるのを見計らって来てもらい、転載して給油して帰ってもらえば最も効率がいいが、4,000t積んで帰ってもらうためには、再び日新丸船団が満庫になるまで待っていてもらうか、もう1度来てもらうかしなければならない。どちらが安いのか不明だが、原油が高騰しているときに2度の運搬は選択しそうもない。
では、ずっと南極海で待機してもらうのか。1頭の処理に1時間と仮定し、24時間操業で加工したとしても、2,000tの箱詰めには18日くらいかかることになる。その間、同船はなにもすることがない。タクシーを何週間も待たせるようなものである。
そこまで経費をかけて、4,000tを持ち帰らせるだろうか。これが、フルスケールで捕獲計画を実行しないのではないかと思わせる第2の理由である。
■始まっている「生産調整」
ちなみに、2006年2月20日朝、当時の松岡利勝農水大臣が、日新丸火災の件で、記者からの質問に対して「今、3,500t獲る調査捕鯨の予定で行ったんですよね。今、2,050トンぐらい獲っていると。そして、中積み船と言って移し替えて持ってくる。それに1,000tぐらい移し替えて、あと1,050tぐらい残っていると。これが電気系統が故障していれば冷凍が効かなくてということだったんですが、それは大丈夫のようでしてね。だから、それを積み替えた後どうするのか」と語っている。(農林水産省・大臣等記者会見「松岡農林水産大臣記者会見概要 平成19年2月20日(火) 8:41~8:53 於:衆議院議員食堂前廊下」)
この発言は興味深い。日本の調査捕鯨では、持ち帰る肉の量をあらかじめ決めていることがわかる。また、松岡大臣の関心は鯨肉の収量にあり、調査のための標本(クジラの個体)がいくつ確保できたかどうかにはない、ということもわかる。曲がりなりにも「調査」なのだが、標本が無事かどうかという言及は、公式発表のどこにもない。
この「3,500t」という数字は非常に興味深い事実を示している。この重量は第二期が始まるときにすでに決まっていたと推定できるのだ。第一次調査で調査副産物として持ち帰られた鯨肉の総量もほぼ3,500tである。第一次で捕獲したミンククジラの数は853頭で、捕獲計画の中央値だ。第一期の調査では、つねに最大値の440頭(計画書では400±10%となっている)を捕獲していたのと対照的で、あと82頭捕れるところを、捕らずに帰ってきているのである。
そしてまた、南極海で調査捕獲しているミンククジラ(クロミンククジラ)1頭あたりの鯨肉(脂肪層、内臓を含む)の収量が、第一次の場合は1頭平均約3.7tと、第一期の捕獲調査よりも0.6tほど少ないのだ。捕獲されるミンククジラの平均体重が小さくなった、という報告はどこにもない。第一期であれば持ち帰ったであろう約500t分を持ち帰っていない。捨ててきている。
ありていにいえば、第一期よりも肉の採り方が雑になったのである。骨が白く見えるほどきれいに肉をこそげ取る作業を放棄し、内蔵を丁寧に回収する作業をやめ、南極海に投棄してきているのがわかる。投棄自体は、国際条約上認められている範囲だが、見る人が見れば「もったいない」し、「肉、先にありきの調査捕鯨なら、無駄な殺生をするな(少ない数で丁寧に収穫しろ)」ともいいたいだろう。そのせいか、第二次は1頭平均4.02tと、やや一期の収量に近づけているが、やはり0.3tほど少ない。
鯨肉の売り上げで運営されているような調査捕鯨なのに、なぜ売れるものを捨ててきているのだろう。
■躍起になる鯨肉在庫処理
それは、農林水産省が毎月発表する冷蔵水産物流通量という統計情報を見ればわかる。鯨肉がだぶついているのである。(農林水産施策について(統計)>水産業:農林水産省)
在庫量は右肩上がり、今年計画書通りに捕ったら鯨肉が爆発するのが分かる。
この統計では、日本各地にある主な大型冷凍倉庫の中身を調査している。小規模なものまで精緻に調査しているわけではないし、倉庫間での移動分が「出庫/入庫」としてカウントされるから、生産量を見るには適していない。だが、鯨肉の動きの大まかなところを掴むことはできる。この統計によれば、2000年以降、北西太平洋鯨類捕獲調査の規模が次第に拡大したのにともなって、在庫量が増え始めている。
■ザトウクジラを本当に捕るのか?
これらのことから考えると、ミンククジラを最大可能な935頭も捕るだろうか、という疑問がわく。またナガスクジラ50頭とザトウクジラ50頭も「満額」で捕獲するとは考えにくい。ミンククジラは長年調査捕鯨実施以前から捕獲してきた「なじみ」の肉である。それですら第一、二次は「850頭前後で止めよ」と指示が出ていたのだ。
ナガスクジラは、30年近くブランクがあったとはいえ盤石のネームバリューがある。しかしザトウクジラはどうだろう。これまでの調査捕鯨の実情だと、「新顔」の鯨肉はかならず販売で苦戦している。日本の沖合で捕るニタリクジラ、イワシクジラがそうだ。
ザトウクジラは、1964/1965を最後に捕獲が禁止されてきた。このとき日本が捕獲したのは43頭である。食い応え・市場の反応が未知である半面、見応え十分なホエールウォッチングの目玉として名が知られている。そのため、反捕鯨国のなかでもオーストラリア政府やニュージーランド政府は、自国周辺を回遊するザトウクジラが狙われるとあって反応が大きいのである。フィン(尾びれ)の裏側の模様で個体識別が進んでいるザトウクジラは、研究者たちにとっては「あの子たちのどれか(誰か)」である。これらの反発を無視して捕ってくるほど、ザトウクジラの肉に魅力があるとは思えない。
鯨肉の在庫は、過去2年くらい「調査捕鯨1年分」に匹敵するほどふくれあがっていた。2005年5月には水産庁の肝入りで鯨肉販売ルート開拓のための合同会社「鯨食ラボ」(中田博社長)を立ち上げたりして、販売促進を進めた。それもあって、以前にくらべると在庫の捌け方は上向いたようだが、「生産調整」もしているのだから捌けて当たり前ともいえる。そこへもってきて南極海鯨類捕獲調査が第二期に入り、2007/2008からは第一期の3倍もの収獲が可能な規模の捕獲計画に突入するのである。
この間、「ザトウは捕らないことになった」とのウワサが流れている。しかし今のところ確認されていない。調査捕鯨の正当性を繰り返し説明してきた日本が、捕らない理由をどう説明するのだろうか。本当であれば興味深い。
日新丸船団がいったい何種・何頭のクジラを捕り、何トンの鯨肉を持ち帰るか。答えは遅くとも来年4月までには明らかになる。なにはともあれ、スタッフは誰1人として欠けることなく、帰ってきてほしい。
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クジラ在庫 「ダブつき」の真相
JCASTニュース 2006/9/14
「クジラの肉が売れなくて余っているんだって」。そんな話がネット上のブログなどで飛び交っている。きっかけは朝日新聞2006年9月9日夕刊の『クジラ余っても高い』『在庫は1年分』という見出しの記事だ。来年は調査捕鯨の捕獲量が拡大されるというのだが、ホントに余っているのか?
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朝日新聞には、
鯨肉の在庫はだぶついている? 「調査捕鯨の拡大で鯨肉の供給は10年前の倍以上になった。しかし、商業捕鯨停止以降の約20年の間に、大半の水産卸が鯨肉を扱わなくなり、流通が追いつかなくなった。このため昨年末で年間供給量に匹敵する約3,900トンの在庫が積み上がった」
と書かれている。
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調査捕鯨での捕獲高は昨年約4,000トンだから、そのほとんどが売れ残っているかのように見ることもできる。グリーンピース・ジャパンはJ-CASTニュースの取材に答え、
「どれくらい余っているかは年間の時期によって異なりますが、朝日新聞の記事は本当です。我々はこの実態を今年06年6月に開催された第57回国際捕鯨委員会(IWC)に報告し、参加国の方々がとても驚いていました」
と話した。
海外では、日本人がクジラを食べるのは伝統的食文化で喜んで食べていると思っていて、だから日本は調査捕鯨を主張するのだと考えていた。だからグリーンピースの報告に驚いたというのだ。
「鯨肉が余っているのに、さらに調査捕鯨を拡大し、無駄な税金がどんどん使われるなんて変だと思いませんか」
「流通のためのストック」と水産庁や業者
水産庁は朝日新聞の記事についてJ-CASTニュースに、
「反捕鯨国のメディアが、日本で鯨肉が余っていると伝えているのは知っています。朝日新聞もそれを参考にしたのかもしれませんが、余ってはいません」
とキッパリと答えた。
確かに昨年末に3,900トンほどの在庫があったが、それは年間で最もストックを抱える時期で、流通する前だったという。さらに、毎年の調査捕鯨費は50億円~60億円で、うち5億円が税金。残りは鯨肉の販売で賄うため、確実に売れているというのだ。
ある鯨肉中卸大手の担当者も、「我々は販売するためにストックしているのだから、余っているという表現は間違っている」と話した。ただし、商業捕鯨が禁止されて20年になり、クジラの卸業者が激減して、鯨肉の流通が物理的に滞ることもあることは認めた。
「値段が下がると不足に」
一方で、若い年代では鯨肉を食べる文化が薄れている。ブログにも「食べたことないんですけど、美味しいんですか?」「もう日本じゃ味を知らない人も多数おられるわけで・・・」などと書き込まれたものもある。水産省は「日本古来からの食文化が廃れては困る」としている。日本捕鯨協会によると、近年は学校給食に鯨肉をメニューに加える動きが出てきて、現在では全国で3,500校にまでなったという。先の卸業者は、「日本人は鯨肉が好きなんです。しかし今、値段を下げたり大手スーパーとの取引を拡大すると供給が追いつかない。やはり、捕鯨再開が待たれているんです」と話している。
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オーストラリア 選挙優勢の野党検討
【シンガポール11月15日北海道新聞】
反捕鯨を掲げるオーストラリアが、南極海で調査捕鯨を進める日本船の監視のため、海軍を駆り出す可能性があることが十五日、明らかになった。二十四日に行われる同国の総選挙で優勢が伝えられる野党・労働党が検討しているとされ、政権交代が実現すれば、日本政府との間で政治問題に発展する恐れもある。
オーストラリア外務貿易省の報道官が明らかにした。それによると、同党関係者が捕鯨船の監視に海軍を使うべきだ-との軍幹部のアドバイスに強い関心を示しており、政権奪還後に海軍による監視が適切と判断されれば、実行に移す可能性が高いという。同国政府は現在、捕鯨船への監視活動を行っておらず、「大事なのは証拠や情報を集めることだ」(報道官)と説明している。
日本は毎年十一月から翌年四月まで、オーストラリアに近い南極海などで調査捕鯨を実施。今年から新たにホエールウオッチングで人気のあるザトウクジラ五十頭を調査対象に加えたことから、オーストラリア国内で批判が強まっている。
これまで、環境団体による妨害活動に悩んできた日本政府は、豪州側に捕鯨船の保護を求めてきたが、「労働党は少しも日本に同情していない」(関係者)という。
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「日本の調査捕鯨ノー」豪で噴出 総選挙控え与野党反発
朝日新聞 2007年11月24日
今月18日、日本の調査捕鯨船が下関港から南極海に向かった。国内でほとんど報じられていなかった捕鯨船の出航が、世界では大きく伝えられ、反発を招いている。総選挙を24日に控えたオーストラリアでは政治やメディアを巻き込む騒ぎに発展。20年以上続く調査捕鯨の捕獲対象に愛好家も多いザトウクジラが新たに加わったためだが、捕鯨をめぐり、日本がさらに孤立化する危険もはらむ。
「監視の必要があれば、軍を派遣して追跡する」。豪州の野党・労働党の「影の内閣」で外相を務めるマクレラン氏は調査船の出航直前、記者団を前に語気を強めた。
11年ぶりの政権奪還を目指し、優勢が伝えられる労働党は、政権交代が実現した場合、日本政府に捕鯨中止の圧力を強くかけるとともに、強硬措置すら辞さない意向をちらつかせる。
対日関係を気遣って批判を避けてきたハワード政権も19日、ダウナー外相が「この残酷な行為を再考するよう求める」との声明を発表。市民の抗議行動も相次いでいる。
日本の調査捕鯨は常に批判がつきまとってきた。だが今回の場合、生息数をめぐる科学手法や保護に関する論争が主だったこれまでの捕鯨、反捕鯨の対立とはやや趣が違う。「見るクジラ」として世界的に定着しているザトウクジラが焦点となっているためだ。
ザトウクジラはひれなどで個体識別が可能とされ、回遊しながらジャンプするクジラに名前をつけて眺める楽しみ方が一般的に行われる。世界動物愛護協会豪州事務所のニコラ・ベイノン氏は「『調査』の名のもとにわざわざ遠くから来て大量に殺して帰るやり方が理解できない」と話す。
また現地経済に直接かかわる点も見逃せない。ホエールウオッチングは大きな産業になっており、国際動物福祉基金(IFAW)の調査では、98年時点の豪州などオセアニア・南極地域の売り上げは38億円、関連産業も含めると132億円以上にのぼるという。
批判は欧州や米国にも広がる。米国務省報道官は19日、ザトウクジラとナガスクジラの捕獲を自粛するよう求めた。英紙インディペンデントは19日の社説で「京都議定書で地球温暖化防止をリードするなど、環境問題で指導的立場にある国が、なぜクジラに思いやりを持てないのか」と痛烈に批判した。
水産庁がザトウクジラの捕獲再開に踏み切ったのは、「ミンククジラだけでは南極海のクジラの生態系が分からない」というのが理由だ。
かつては乱獲で急減し、60年代から捕獲をやめていたが、最近、南極海の日本の調査海域だけでも3万5000~4万頭生息すると推計され、国際組織の国際捕鯨委員会(IWC)でも、年間10%以上は増えているとの見方で一致する。
同庁は年間9000万トン程度で横ばいが続く世界の漁獲高について、クジラが大量の魚を食べることが影響している、と主張する。ミンククジラに加え、ザトウクジラなども管理していかないと「魚がどんどん減って将来的に大きな食糧問題になる」(水産庁遠洋課)と正当性を強調する。
だがこうした日本の主張は必ずしも受け入れられてはいない。IWCの加盟78カ国のうち、捕鯨反対は42、容認は36とされる。5月末に開かれた総会では商業捕鯨の一時停止を支持する決議が賛成多数で採択された。
投票をボイコットした日本は、IWCからの脱退を示唆するなど孤立を深める。国際社会の反発を招くザトウクジラの捕獲は、日本をさらに追い込みかねないとの指摘もある。
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〈キーワード〉日本の調査捕鯨 IWCの決定で商業捕鯨が86年から一時停止(モラトリアム)されたため、日本は翌年から調査名目で南極海でミンククジラの捕鯨を始めた。その後、北西太平洋に広げ、捕獲対象種も増やしていった。
今回は来春までに850頭のミンククジラのほか、ナガスクジラ、ザトウクジラ各50頭を加えた約1000頭の捕獲を予定する。
鯨肉は調査費に充てるため市中で販売する。「調査の名を借りた商業捕鯨」(ニュージーランド)との批判がある一方、価格が高く、消費が伸び悩んでいる実態もある。
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遊覧船が氷塊に衝突、浸水=日本人1人含む154人無事-南極海
ロンドン23日時事 2007/11/24
南極半島北方に位置するサウスシェトランド諸島沖で23日、遊覧船「MVエクスプローラー」が氷の塊に衝突して浸水し、沿岸国当局が共同で救出作業に当たった。日本人1人を含む乗客・乗員154人は全員救命ボートで脱出後、救助船に移り、負傷者はいないという。
遊覧船を所有するGAPアドベンチャーズ社(本社カナダ)によると、乗客は英国人、カナダ人、米国人など。報道によれば、5月の英海運当局による検査時、同船の5カ所に欠陥が見つかっていたという。
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先月放射性同位元素で毒殺されたロンドン在住のロシアの元スパイ、アレクサンダー・リトビネンコの事件は、今年最大でもっとも異常な事件だ。冷戦時代を含むこの20年間、こういった事件は聞いたことがない。
誰もが不思議に思うのは、もちろん。。。誰がやったのか?目的は何か?もちろん、これはロンドン警視庁などの捜査機関が最も重視している点だ。だが、あまり語られない問題点の中に、この重要な疑問を解く鍵があると思う。それは、リトビネンコ氏は何故このような異常な、高価な方法で殺されたのか?ちょっと考えすぎかもしれないが、生物の進化論で説明できるのではないか。
第一に、事実を検証してみよう。
まず第一に、事実に基づくと、リトビネンコ氏殺害に使われた半金属、ポロニウム210は、これまでに飛行機2機、モスクワの英国大使館、ロンドン中心部のすし店、サッカーチームアーセナルズの本拠地エミレーツ・スタジアムなど、ロンドンの10か所で発見されている。さらに、リトビネンコ氏と行動をともにしていたロシア人ビジネスマン、ドミトリー・コフトゥン氏のハンブルグの自宅からも発見された。
ポロニウム210は、同量で比較すると青酸カリの2500億倍の毒性がある。わずか、120ナノグラム(1ナノグラムは、1グラムの10億分の一)の摂取(摂食・吸引)で人は死ぬ。持ち運び簡単。飛行場の検査は簡単に潜り抜ける。だが、入手はそれほどたやすいものではない。
ポロニウム210は、他の放射性物質ビスマス209と中性子の衝突で作り出される。これには、原子炉が必要である。ポロニウム210はアルファ線を出すことから、静電気を防止する作用があり、しばしば衛星においても使われる。
ロンドンの新聞によると、リトビネンコ氏暗殺に使われたポロニウム210の価格は約40億円(2000万ポンド)だ。
だが、どうして単純に射殺とかしなかったのか?いや、もっと安くすむのであれば、刺殺でもいい。どうして、こんなにお金を使うのか?どうして世間に知られていない、入手困難な物を使ったのか?このお金の使い方はべらぼうだ。ここに事件を解く鍵がある。無駄遣いこそ、動物の進化論で説明できる。
生物界で最たる無駄遣い・・・雄の孔雀の尾びれである。このおおきな尾びれの構造は飛行の役には立たない。それどころか、生活の上で邪魔であり、天敵にも見つかりやすい。羽を広げるだけでも多大な労力を使う。進化論の観点から、どうしてそういうことになったのか?これは、雌孔雀に実力、容姿、健康、そぢて理想のパートナーであることを示すことにある。雄孔雀は出会った雌孔雀に言うだろう。「見てごらん。私は強い。こんな大きな羽を広げられるのだから。僕について来い。」
ポロニウム210は、雄孔雀の殺人兵器、広がる尾びれに該当する。
これだけの金を投じて殺人を行わせるのは一体誰か。
多くの評論家は、リトビネンコ氏の暗殺にロシア政府の関わりを指摘する。リトビネンコ氏がプーチンロシア大統領の反対派であったことを考えればもっともだろう。だが、ロシア政府にとってリトビネンコ氏を排除することは、あらゆる手法を考えたとき、外にましな方法がいくつでもあったはずだ。
当初すしレストランが毒をもられた場所だと考えられていたが、警察は今11月1日リトビネンコ氏が二人のロシア人ビジネスマンに会ったロンドン中心部のホテルに焦点を絞っている。この日アーセナルはCSKAとホームグランドでヨーロッパ・リーグ戦を戦っていた。多くの群集の中に、上述のドミトリー・コフトゥン氏と大富豪アンドレイ・ルゴボイ氏がいた。ロンドン警視庁は、この二人は、リトビネンコ氏暗殺の隠れ蓑に使われた可能性があるとして捜査している。
ルゴボイ氏は、「誰かにはめられた。」と言っている。
警察も同じ結論に向かっているように見える。 それが、生物の進化論でないにしても・・・。
生物進化論に基づく探偵でも始めてみようか。
JapanTimes
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【「ポスト京都」へ…COP13】次期枠組み、09年まで合意
FujiSankei Business i. 2007/12/4
バリ島で開幕、途上国との交渉難航必至
地球温暖化防止のための気候変動枠組み条約の第13回締約国会議(COP13)が3日、インドネシア・バリ島で始まった。京都議定書に定めのない2013年以降の国際的な枠組み「ポスト京都」の交渉開始に合意できるかが焦点となる。
合意の実現で、温暖化による危機を回避するのに不可欠な、温室効果ガス排出の大幅削減に道を開くことが期待されるが、会議の難航は確実だ。
会議ではオーストラリアの代表が、議定書を批准する手続きを取ったことを報告。会場から大きな拍手を浴びた。冒頭、議長に選ばれたインドネシアのウィトゥラル環境相は「気候変動の交渉に人類の将来がかかる。将来の枠組みに向けた具体的な交渉を開始しなければならない」と述べた。COP13の最重要議題は、ポスト京都の交渉スケジュールや終了期限、論点などをまとめた行程表「バリロードマップ」をまとめること。
欧州連合(EU)は行程表案として、先進国に議定書以上の排出削減目標を設定することや、発展途上国の効果的な削減への貢献を議論し、09年中に交渉を終えることを提案。日本は「具体的な中身に踏み込むと各国の賛同を得られない」として、議定書から離脱した米国や中国、インドなどすべての国が参加する交渉の場を設置することを最大の目標に臨む。(バリ島 共同)
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水問題で「アジア・太平洋サミット」インフラや人材育成討議
大分で開幕 成果をCOP13などに提言
FujiSankei Business i. 2007/12/4
アジア・太平洋地域の水と衛生問題解決に向け、35の国・地域の首脳らが一堂に会する初の国際会議「第1回アジア・太平洋水サミット」が3日、大分県別府市の別府国際コンベンションセンターで開幕した。水の安全保障やインフラ整備、人材育成のあり方などをテーマに2日間議論する。4日には議論の成果を「別府宣言」にとりまとめ、3日からインドネシアのバリ島で始まった第13回気候変動枠組み条約締約国会議(COP13)や来年7月開催の北海道洞爺湖サミットなどに提言する予定だ。
開会式には皇太子さまもご出席。主催のアジア・太平洋水フォーラム会長でサミット運営委員長の森喜朗元首相のあいさつに続き、福田康夫首相は、「水サミットでの活発な議論は来年の洞爺湖サミットに大きな力と知恵を与える」と述べた。
この後、水問題で記念講演した皇太子さまは地球温暖化による海面上昇などに危機感を示され、「特に島嶼(とうしょ)部では海面上昇による浸水、高潮などの沿岸災害の増加と利用可能な淡水量の減少が強く懸念されるところです」と指摘された。
今回のサミットは、世界の水災害による死者数の80%以上がアジア・太平洋地域に集中している現状を踏まえ、各国の政治主導者が水問題を最優先課題ととらえ、具体的な行動につなげることを狙いとしている。10の分科会が開かれ、ヒマラヤ地域の氷河や、途上国の水環境の改善などを討議する。
同サミットは今後、2~3年に1回のペースで開催していく予定。
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斎賀氏が判事当選 国際刑事裁、日本人は初
(西日本新聞 2007年12月1日掲載)
【ニューヨーク30日共同】戦争犯罪や大量虐殺などを裁く国際刑事裁判所(ICC、オランダ・ハーグ)の締約国(105カ国)は11月30日、ニューヨークの国連本部で欠員判事3人の補欠選挙を行い、日本から立候補していた外務省の斎賀富美子人権担当大使(64)が、立候補した5人中トップで当選した。日本人が選出されるのは初めて。
斎賀大使は日本の国連代表部で会見し「裁判官として勉強し、心して取り組んでいきたい。(今回の当選が)日本国内でICCの使命を理解するきっかけになってもらえればと思う」と述べた。
補選は定員18人の判事のうち、3人が辞任したことに伴い実施。日本、フランス、ウガンダ、トリニダード・トバゴ、パナマから5人が立候補した。30日の投票で斎賀氏が82票、フランスの候補が79票を獲得し、2人だけが当選に必要な有効投票の3分の2を上回った。3人目は12月3日以降に選出する。任期は、辞任した三判事の残り任期を割り振るが、3人目の結果が確定してからくじで決める。
ICCは設立の根拠となる条約が2002年に発効し、日本は今年10月に締約国になった。
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守屋和郎は公使として2年余在任。その著書「アフガニスタン」(昭和16年11月刊)に次のようにある。
「アフガニスタンでは産業開発の為に、ドイツその他より多数の技師及び教師等を招聘している。その中に日本からも4人の農林技師及び延べ人員にして8人の土木技師が招聘された。一時残っていたのは土木技師の4人に過ぎなかったが、最近に至り数名の土木建築技師が招聘せられた。
農林技師は相沢[州二]君が林業、尾崎[三雄]君が農業、出光[勝兵衛]君が畜産、印東君は害虫駆除等について、それぞれ実地に指導し、また学校で教鞭を取ったり、研究報告を書いたりした。いずれも2年ないし3年の任期で赴任せられたので、すでにそれぞれ帰朝している。惜しいことには、出光君は帰朝を前にして病を得、福岡の郷里に着く2日前に長崎港を前にして逝去されたのである。
また農林技師の後任はアフガニスタン政府の考えもあり、政策の変更もありしてついに任命を見るに至らないのも遺憾なことである。その後に土木技師では池本[泰兒]、上ノ土[ ]及び藤芳[義男]の三君が水利事業、近藤君が建築で實招聘せられいずれも先年帰朝された。 一時アフガニスタンにあるのは、小林[源次]、多田[弘]、渋谷及び松原の四氏であった。主としてカンダハルで働き、随時カブールに出張してくる。四人の技師に図工として若き坂本[春枝]女史が随行したことは、日本婦人として気を吐くものである。」
30年代前半 日本華南政策 駐福州総領事守屋和郎
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守屋和郎は公使として2年余在任。その著書「アフガニスタン」(昭和16年11月刊)に次のようにある。
「アフガニスタンでは産業開発の為に、ドイツその他より多数の技師及び教師等を招聘している。その中に日本からも4人の農林技師及び延べ人員にして8人の土木技師が招聘された。一時残っていたのは土木技師の4人に過ぎなかったが、最近に至り数名の土木建築技師が招聘せられた。
農林技師は相沢[州二]君が林業、尾崎[三雄]君が農業、出光[勝兵衛]君が畜産、印東君は害虫駆除等について、それぞれ実地に指導し、また学校で教鞭を取ったり、研究報告を書いたりした。いずれも2年ないし3年の任期で赴任せられたので、すでにそれぞれ帰朝している。惜しいことには、出光君は帰朝を前にして病を得、福岡の郷里に着く2日前に長崎港を前にして逝去されたのである。
また農林技師の後任はアフガニスタン政府の考えもあり、政策の変更もありしてついに任命を見るに至らないのも遺憾なことである。その後に土木技師では池本[泰兒]、上ノ土[ ]及び藤芳[義男]の三君が水利事業、近藤君が建築で實招聘せられいずれも先年帰朝された。 一時アフガニスタンにあるのは、小林[源次]、多田[弘]、渋谷及び松原の四氏であった。主としてカンダハルで働き、随時カブールに出張してくる。四人の技師に図工として若き坂本[春枝]女史が随行したことは、日本婦人として気を吐くものである。」
30年代前半 日本華南政策 駐福州総領事守屋和郎
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