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日本の陰謀 (135)
誕生日で選ばれる悲しい人々
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昨日のニュースで久しぶりに小泉の顔を見た。だが、よく考えると、この主人公の誕生日を調べたことがない。太平洋戦争の重要な時期に生まれていたことは、本人の弁で聞いたことがある。
だが、小泉もアフマディーネジャードと同様、誕生日で選ばれていた。残念だ。小泉は、真珠湾攻撃から1月後の1942年1月8日に生まれた。この日は、日本が大東亜戦争完遂のための国民運動を開始した日だ。戦争中、この日は「大詔奉戴日」として戦争遂行の重要な記念日となった。
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2005年1月21日首脳会談の前に握手を 交わす小泉首相とプーチン大統領
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他にも誕生日で選ばれた者は多い。思い出す者を表にしてみた。これらは仮説です。それぞれ検証して判断ください。
誕生日で選ばれた人々
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名前
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生年月日
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原因となる事件
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関連
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森田健作
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1949年 12月16日
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戦艦大和竣工式
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大東亜戦争
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小泉純一郎
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1942年 1月8日
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大詔奉戴日
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大東亜戦争完遂のための国民運動
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エルヴィス・ プレスリー
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1935年 1月8日
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大詔奉戴日
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大東亜戦争完遂のための国民運動
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金正雲
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1984年 1月8日
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大詔奉戴日
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大東亜戦争完遂のための国民運動
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オノ・ヨーコ
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1933年 2月18日
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満州国建国1周年記念日
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大東亜戦争
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山花貞夫
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1936年 2月26日
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二・二六事件
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軍事クーデター
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アフマディーネジャード
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1956年 10月28日
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自由の女神像の除幕式・美濃・尾張地震(1891年10月28日)
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米国の終わりを象徴する、「反米」の人工地震
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ジャック・シラク
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1932年 11月29日
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仏ソ不可侵条約調印
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反米同盟
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ニコラ・サルコジ
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1955年 1月28日
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パリ協定
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米国の敗北
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小泉進次郎
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1981年4月14日
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タイタニック号の氷山衝突
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西洋の没落と東洋の隆盛
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金日成
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1912年4月15日
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タイタニック号の沈没
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西洋の没落と東洋の隆盛
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重信房子
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1945年9月3日
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日本政府解体の日
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米軍が本格的に日本に乗り込んできた屈辱の日
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坂本九
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1941年12月10日
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ハワイ真珠湾攻撃の直後
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米国攻撃
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仲宗根美樹
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1944年6月23日
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オリンピックデー
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東京オリンピックの成功
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ヒトラー
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1889年4月20日
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ナポレオン3世の誕生日(1808年4月20日)
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ナポレオンの後継者(フランス革命100周年の年に生まれる)
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チャップリン
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1889年4月16日
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ヒトラーの誕生日(1889年4月20日)
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ヒトラーの影武者(パロディ)
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アルベルト・ フジモリ
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1938年7月28日
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ペルーの独立記念日、フランス革命(テルミドールのクーデター)
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1990年7月28日に大統領に就任
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ハーミド・ カルザイ
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1957年 12月24日
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1979年12月24日ソ連のアフガン侵攻
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アフガニスタン大統領
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世界銀行総裁 ウォルフォウィッツ
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1943年11月22日
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カイロ宣言(日本の無条件降伏)
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日本の世界征服の象徴
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またもや悲しいパフォーマンス
今回の小泉の訪ロを聞いて、過去に似たようなことがあったことを思い出した。それは、福田前首相の訪ロだった。日本にとってロシアはかけがえのない友人だ。いつでもアリバイ作りに協力してくれる。
福田前首相は、日本でのオリンピック聖火リレーが気に入らない。それで、そのリレーに合わせて突然ロシアに行き、すぐに帰国した。今回は、小泉がヒラリー国務長官の来日(16~18日)が気に入らないのだろう。関係ないのに日本を逃げ出してロシアに行く(14日~20日)。「アッカンベー」の意思表示だ。だが、ロシアもよく付き合ってくれる。フランス同様同盟国なのか、簡単に買収に応じるのか、どちらかだろう。
もちろん、小泉の麻生批判は、二人がぐるになった演出で、小泉の訪ロをアピールしたかったのだ。せっかくロシアに逃げ出しても、マスコミが報道しないと、なおさら惨めだ。
前回二人の国務長官も来日の際、大変な招待を受けた。
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誕生日を捏造する (2009年8月23日記事追加)
私は、これらの誕生日の一致が起こる理由は、日本政府がとりわけ誕生日の一致する者を選ぶからだと思っていた。だが、どうもそうではないようだ。
今、テレビで昔の映画が放送されている。「涙くんさよなら」という映画だ。画面には堺正章が出ていた。私には、この芸能人が長い間不可解だった。ザ・スパイダースというグループサウンズのリードヴォーカルだが、決して歌はうまくない。見栄えもよくない。何故だろう。
ウィキペディアで誕生日を見て納得した。もちろん二代目なのだが、生まれたのは広島原爆投下の1年後、1946年8月6日だ。しかし、父親が届け出を2ヶ月忘れたと書いてある。だが、役場の届け出は、さかのぼって出来る。医師の証明はいらない。だから、この父親の言い訳は通らない。広島の原爆投下に合わせただけだろう。
そして、誕生日で選ばれた他の人たちについても、その経緯が納得できた。つまり、誕生日の届け出の時点で、何かの記念日に合わせていたのだ。
日本政府は、こういった者たちは、極めて手厚くもてなす。彼らは社会の出世の階段を簡単に登る。
これらは仮説です。
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