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日本の陰謀 (126-1)
陰謀の中心はオリンピック(1)
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すでに様々な陰謀が検証されたが、さらなる疑問が次々と湧いてくる。
1.どうして爆発の場所にカナダが選ばれたのか。
2.何故事故は午前7時に起きたのか。
3.どうして、インド航空機をインド人が爆破せねばならないのか。
4.もう一件の爆破事件は何故日本で起こったのか。
5.何故、成田空港の爆破事件は、1時間前に起こったのか。
これまでの経験と勘で、オリンピックを疑った。もちろん事件はオリンピック記念日に起こっている。カナダのオリンピック記録を調べた。驚いた。カナダは、1984年ロサンゼルスオリンピックで金メダル10個を獲得し、記録的な成績を上げた。
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カナダのオリンピック・メダル獲得数
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年
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1902
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04
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06
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08
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12
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20
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24
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28
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32
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36
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48
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52
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56
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60
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64
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68
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72
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76
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80
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84
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88
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92
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96
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2000
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04
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08
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金
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1
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4
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1
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3
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3
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3
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0
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4
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2
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1
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0
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1
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2
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0
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1
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1
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0
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0
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10
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10
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5
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3
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7
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3
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3
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3
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3
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銀
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0
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1
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1
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3
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2
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3
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3
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4
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5
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3
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1
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2
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1
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1
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2
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3
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2
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5
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18
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8
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7
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2
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4
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11
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3
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6
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9
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銅
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0
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1
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0
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10
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3
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3
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1
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7
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8
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5
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2
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0
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3
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0
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1
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1
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3
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6
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16
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14
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16
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5
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7
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8
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8
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3
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6
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計
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1
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6
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2
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16
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8
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9
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4
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15
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15
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9
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3
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3
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6
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1
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4
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5
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5
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11
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44
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32
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28
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10
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18
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22
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14
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12
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18
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6月23日は偶然ではなかった。
上記の結果でわかるように、84年のカナダは特別だった。何故、カナダは突然強くなったのか。そこには、オリンピックにかかわる各国の国威発揚の裏事情があった。
カナダは1976年、モントリオールオリンピックを開催した。だが結果は散々だった。開催国でありながら金メダルが一個もとれなかった。実は、カナダのスポーツは完全なアマチュア主義だった。選手は自費で週末などの仕事の合間に練習した。これでは勝てない。カナダが悪いのではない。日本などの国策スポーツ振興国が悪いのだ。
しかし、カナダは反省したようだ。国家もスポーツ振興にかかわってきた。その効果は目を見張るものだった。だが、それだけでは、金メダル10個は説明できない。そこには、オリンピック特有の裏事情があった。
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西側諸国と共産圏諸国のボイコット合戦
管理国家では、オリンピックは外交問題ではなく内政問題だ。いかに国威発揚に寄与するかが重要だ。強国は出来ることなら参加してほしくない。メダルを奪われるからだ。
80年のモスクワ大会はソ連のアフガン侵攻に抗議する西側諸国がボイコットした。カナダもボイコットに加わった。次回のロサンゼルスでは、報復として、共産圏諸国がボイコットした。これが、北国カナダに大きく幸いした。かねてより、カナダの選手の得意種目はソ連や東ドイツなどの共産圏諸国に上位を奪われていた。これらのメダリストたちが姿を消したロサンゼルス大会では、カナダの選手が上位に食い込んだ。モントリオールの反省で国家の奨励策を強化したことも大きく貢献した。さらに、このころ共産圏諸国で蔓延していた国家ぐるみのドーピングも大きく影響しただろう。
1980年代の旧ソ連や東ドイツなどの東側諸国では、ドーピングが国家レベルで組織的に行われていた。その世界記録は今でも多く破られずに残っている。
ドーピングの選手らの記録は驚異的であり、そういった選手がいないとオリンピックとしては平凡な記録でも金メダルが取れたのだ。
だが、メダル数を分析してわかるように、共産圏諸国のボイコットの恩恵を日本やフランスは受けなかった。それどころか、やすやすとカナダに順位を奪われた。これは全く予想外の展開だった。ここでカナダの躍進にブレーキをかけておかないと大変な結果になると恐れたことだろう。
今になってわかることだが、ソ連のアフガン侵攻とオリンピックは、原因と結果が逆だった。アフガン侵攻のためにオリンピックのボイコットが生じたのではなく、ボイコットさせるためにアフガン侵攻を行った。ソ連にとって、オリンピック会場に米国の金メダル、国旗掲揚、国歌演奏は敗北以外の何物でもなかった。それゆえ、アフガン侵攻は、世界中がクリスマス・イブに浮かれていた1979年12月24日静かに行われた。今年の北京オリンピックでもロシアは南オセチア侵攻という同じ過ちを犯し、フランスが介入した。
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東京オリンピックから東京オリンピックまで
オリンピックに戦争は付き物だ。1940年東京オリンピックの招致から返上に至る日本の対応は、まさに軍事、経済、政治を総動員した戦争にまみれたものだった。一言でいえば、1929年日本は世界大恐慌を引き起こし、オリンピックを軌道に乗せようとした。だが、1936年のベルリン大会がヒットラーの大勝利(メダル獲得数第一位)に終わり、日本には選択肢がなくなった。選手の強化策もうまくいかない。1938年に日本はオリンピック開催を辞退し、代わりにフィンランドのヘルシンキが決定した。
日本は綱渡りをしたが、失敗したのだ。日本は、英米などの強国と中国にボイコットして欲しかったのだ。イタリア・ドイツは八百長をお願いできる(金メダリスト西竹一の八百長)。中国は1932年ロサンゼルスオリンピックから選手を派遣していた。米国は日本の意図を知ってか知らずか、ボイコットを通告してきた。だが、日本はもうやりすぎていた。世界中から米国追随の動きが出たのだろう。日本の夢(メダル獲得数第一位)は実現不可能となった。こうなった以上、日本に残された道は戦争しかなかった。目的は、ヘルシンキの破壊だった。ヘルシンキオリンピックの前年、ヒトラーは1939年9月1日、突然軍を北に向けた。だが、フィンランドまでドイツ軍は届かなかった。今度はソ連にお願いした。ソ連は11月フィンランドに侵攻した(冬戦争)。これでヘルシンキのオリンピックは中止された。
だが、日本にとって1940年は皇紀2600年であり、オリンピックは「紀元二千六百年記念行事」の一環であった。日本は、満州国、占領下の中国、タイ、フィリピン、ハワイから選手を招待し、総勢700名の選手で明治神宮競技大会(the East Asian Games)を強行開催した。
次は、ロンドンだった。ここも叩かねばならない。1940年はドイツ軍が徹底したロンドン爆撃をおこなった。疲弊した英国はロンドンオリンピックを中止した。日本にとってドイツの英国攻撃は重要だった、香港・シンガポールの英国艦隊を孤立・弱体化させる必要があった(ヒトラーが英国への戦闘を中途半端に終わらせたのは、オリンピックが中止され、香港・シンガポールが陥落したからだ)。この作戦はうまくいった。結局、日本は得意の、「後出しじゃんけん」を行ったのだ。「奇襲攻撃」を強調するのは、それを隠すためだ。実は、日本の戦争は、遥か以前からシナリオが始まっていた。
結局、第二次世界大戦は、東京オリンピックの引き延ばし、その間のオリンピックの妨害工作の一環だった。戦後は、アジアで日本だけが高度成長を遂げたが、今日考えると、朝鮮戦争、毛沢東の孤立政策など、すべてが日本の経済発展に都合よく動いた。今日の中国を見れば、戦後20年もの間の経済停滞は尋常ではない。ドイツが分割されたのも日本のオリンピックに都合がよかった。結局、1964年の東京オリンピックでは、日本は世界一でこそなかったが、米国、ソ連につぐ第三位の成績を残した。
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旅客機が爆破されたのは、ロサンゼルスオリンピックの翌年のオリンピック記念日1985年6月23日で、インド航空の便名は、「182便」だった。この182は、国際オリンピック委員会創設91周年を記念して、その二倍の数字が選ばれた。
続きは次項で説明する。
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