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日本の陰謀(2) 8項


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120  中山成彬前国土交通相は島津斉彬のパロディ 2008/11/16
121  ムンバイ同時多発テロ、11月27日は「英雄の日」 2008/11/28
122  サンパウロ・フォーラム 2008/12/3
123  ハワイ真珠湾攻撃の日 2008/12/8
124  犯罪被害者の会は、警察応援団 2008/12/11
125  タイミングと攻撃の動作が完全に一致 2008/12/15
126-1  陰謀の中心はオリンピック(1) 2008/12/20
126-2  陰謀の中心はオリンピック(2) 20009/1/3
127  バングラデシュに民主主義もどるか 2008/12/30
128  門地と家柄(2) 2009/1/8
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  2008/11/16  #180

日本の陰謀 (120)

中山成彬前国土交通相は島津斉彬のパロディ


どういうわけかは知らないが、最近のパロディーや語呂合わせは少々度ぎつい。

9月22日麻生太郎自民党総裁に就任

今日の日本の政治経済は何でもありの様相を呈してきた。福田首相が突如辞任し、派手な自民党総裁選が行われた。「本音と建前」の日本の象徴のような選挙だった。表面上は、戦後最多の候補者で選挙を争い、中身は八百長談合の出来レースだった。麻生は予定通り第23代自民党総裁に選出される。だが、この予定は、麻生の選出だけではなかった。その日付も予定になっていた。何とそれは、元首相吉田茂の誕生日だった。吉田茂は、麻生の祖父だ。さらに大久保利通は高祖父(直系4親等)になる。

現在の麻生太郎の風貌に対するアンチテーゼとしてこの写真を取り上げる。真偽・修正はわからない。

私は、テレビのニュースで麻生がわざわざコメントしたのを覚えている。念のため自民党のサイトを調べると、これまた驚いた。コメント内の日付が故意に変えてある。「9月27日」となっている。よほど具合が悪いと思ったのだろう。それにしても日本の情報公開は本当にでたらめだ。単なるデタラメならまだ許される。細かいところまで情報をいじりまわしている。これでは、いったい何が事実で何が嘘かわからない。単なるデタラメは一般人でも見破れる。だが、ここまで丁寧に情報操作が行われると、簡単には見破れない。まさに、「狐と狸の化かしあい」になる。日本の嘘の奥深さはここにある。

9月28日は島津斉彬の誕生日

「中山成彬国土交通相は、28日に引責辞任する意向を固めた。」と、自民党幹部は27日、発表した。大体、引責辞任の日付を事前に設定すること自体が怪しい。また、他人が発表するのもおかしい。辞任の発表を他人が行うのは、上司が更迭する時だけだ。

この日は、島津斉彬の誕生日だ。もちろん、「語呂合わせ」だ。だが、不思議なのは、中山の親が島津斉彬にちなんでこの名前を付けたのか、それとも政治家が、中山の名前に目を付けたのかよくわからない。何でもありの日本では推測は容易でない。

中山の妻は中山恭子で、安倍内閣の北朝鮮拉致問題担当首相補佐官としてしばしばテレビに出てきた。申し訳ないが、気持の悪い印象しかなかった。 中山成彬は宮崎県小林市の生まれだが、この地域は日向国諸県郡として以前薩摩藩の領地だった。

テレビ番組まで、「陰謀」

この日は、テレビ番組まで「陰謀」を用意した。時代劇『柳生一族の陰謀』を30年ぶりに復活させたという。よくわからないが、仰々しい宣伝だった。

島津斉彬の誕生日に異説

今回調べて驚いたのだが、島津斉彬の誕生日には異説がある。だが、結局は、9月28日が正しいらしい

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  2008/11/28  #181

日本の陰謀 (121)

ムンバイ同時多発テロ11月27日は「英雄の日」


インドのムンバイで26日夜から27日にかけて起きた同時テロは、日本人を含む125人が死亡、300人以上が負傷する惨事となった。インド治安部隊は、人質の救出とテロリストの制圧作戦により、人質の一部を救出したが作戦は続いている。

このテロ攻撃にも日付の語呂合わせが巧みに使われる。スリランカの反政府武装組織タミル・タイガーとスリランカ政府軍の戦闘は激化している。23日もゲリラ120人が殺害された。11月27日は、タミル・タイガーの「英雄の日」だ。今回のテロリストとは一見無関係に見えるが、日付で、その連帯あるいは同一組織をほのめかす。

また、ムンバイには9月15日ソマリア沖で海賊に乗っ取られた日本の海運会社所有の化学タンカー、「Stolt Valor」号が11月24日入港している。乗っ取られた際、Stolt Valor号には乗組員22人が乗り込んでおり、解放にあたって身代金として約250万ドル(2億4000万円)が支払われた。

一方、英国BBCは11月19日インド海軍のフリゲート艦がソマリア海賊船を爆発炎上、撃沈させた、と報道した。

武装集団による襲撃で煙を上げる
ムンバイのタージマハル・ホテル
タタ・モーターズの「ナノ



今回のムンバイの同時テロは、これらのテロ組織が、世界的な巨大な組織の傘下にあることをメッセージとして伝えている。これは、一般社会だけでなく、縦割りのテロ実行組織にもそれを確信させる意味もある。

時間が足りないので、ここで終わりにする。後日、詳しく説明する。

追記(2008.12.24)

タージマハル・ホテルは、タタグループの所有だ。タタグループは、インド最大の財閥で、自動車メーカーのタタ・モーターズ、製鉄会社のタタ・スチールなどを傘下に擁する。タタ自動車は今年6月、米フォードから「ジャガー」と「ランドローバー」ブランドを23億ドルで買収した。秋には約27万円の超低価格自動車「ナノ」を発売した。世界的な知名度が著しく高まっている。自動車業界が不況に苦しむ日本と、奇妙な因縁を感じる。

参照
トロント発インド航空機の空中爆発事件
和歌山毒物カレー事件
日清戦争豊島沖海戦

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  2008/12/3  #182

日本の陰謀 (122)

サンパウロ・フォーラム


サンパウロ・フォーラムという国際会議は、日本語のサイトでは怪しいサイトでの記事が多く、あまり信用できない。しかし、日本の情報の特性として、煙の立つところには必ず何らかの火がある。

重田保夫・侍従次長は、「火のないところに煙は立たないというから、・・・・・・

それで調べてみた。残念ながら日本語ウィキペディアには該当がない。それでやむなく英文ウィキペディアを翻訳する。

サンパウロ・フォーラム(英文ウィキペディアより)

サンパウロ・フォーラム(FSP)は、中南米の左翼、国家主義および社会主義活動団体の会議である。この会議はブラジル労働党により創設された。

ブラジル労働者党(英文ウィキペディアより)

党首:ヒカルド・ベルゾイニ
設立:1980年2月10日
所在地:サンパウロ
政治的思想:社会主義
国際連携:サンパウロ・フォーラム、第四インターナショナル
政党色:赤と白
政党認識番号 13
ウェブサイト:www.pt.org.br

ブラジル労働者党はブラジルの左翼政党だ。
労働者党の色は赤色で、赤地の星に白色で「PT」の文字が描かれる。党旗は赤色の背景に色を反転させた星が描かれる。
その他の著名な政治家は、 フレイ・ベット、アンナ・ジューリア・カレパ、マルセロ・デダ、ウェリントン・ディアス、アントニオ・パロッシ・フィロ、ルイス・グシケン、ギド・マンテガ、ビニョ・マルケス、 アルイ-ジオ・メルカダンテ、ディルマ・ロウセフ、エドアルド・スプリシー、マルタ・スプリシー。


労働者党は、南米で最も有力な左翼政党とみなされている。

歴史

労働者党は、1980年2月10日サンパウロのシオン高校で設立された。ブラジルのルイス・イナシオ・ルーラ・ダ・シルヴァ大統領は、その発起人の一人で、今日労働者党の最重要人物だ。その他の発起人に、エノス・アモリーナ、ジャウマ・ボン、ワグネル・ベネヴィジス、ジャコー・ビッタル、アポロニオ・デ・ カルヴァーリョ、ジョゼー・スィコッチ、マヌエル・ダ・コンセイソン、オリヴィオ・ドゥットラ、モアシル・ガドッチ、エジソン・カイール、マリオ・ペドソーザ、エンリッケ・センチーロ、アルノービオ・ヴィエイラ・ダ・シウヴァ、ローリン・マルチンヨ・ドス・サントス、パウロ・シュクロモヴ、ジャック・ワーグナーなどがいる。

労働者党は1982年2月11日ブラジル高等選挙裁判所の法的承認を得た。

選挙

労働者党は1990年以来、サンパウロとポルト・アレグレなどの大都市や、リオグランデ・ド・スルなどの諸州で支持率を伸ばし、国政選挙での獲得議席を増やした。この勢いに乗じて、2002年の大統領選挙では、同党の候補者ルーラが当選し、ブラジル民主社会党のフェルナンド・エンリケ・カルドーゾ大統領の後任となった。

1994年総選挙

1994年の総選挙を率いて、ルーラはマスコミの世論調査で有力な大統領候補に上がってきた。その結果、中道と右派の連合がフェルナンド・エンリケ・カルドーゾの支持に回った。この戦略は成功し、カルドーゾは54パーセントの投票を獲得、ルーラはわずか27パーセントにとどまった。しかし、この選挙は州知事の当選者を初めて2名出し、議会での議席数を大幅に伸ばしたことから、労働者党にとって大きな敗北とはならなかった。

2006年総選挙

2006年10月29日、労働者党は、下院で83議席、上院で11議席を獲得した。ルーラは60パーセント以上を獲得、大統領の期間を2011年1月1日まで伸ばした。

労働者党は現在、下院で第二党、上院で第四党であり、5名の州知事を確保する。

2003年~2007年

伝統的に過激な傾向の強い労働者党には、新しい党の政策を受け入れず内部抗争に明け暮れる者もいた。だが、党の政治的な立場が変化したことで、連邦政府とルーラ大統領は国民の多くから好意的に受け取られた。党の内部対立は広く論争を巻き起こし、党の定めた政治的決定に従わなかった4名の党員が除名された。除名された政治家に、ジョアン・アラウージョ下院議員(通称ババ)とエロイーザ・エレーナ上院議員がいる。この二人は2004年6月、自由社会党を立ち上げた。

2005年1月30日にポルト・アレグレで開かれた世界社会フォーラムで、労働者党の急進派112名が党の脱退を表明した。この急進派は、労働者党はもはや社会改革の政党ではなく、IMFやその他の経済社会問題で現状維持を求める政党になったという脱党宣言を発表した。

政治危機

議員買収事件

2005年7月党員の汚職事件が発覚、まずロベルト・ジェファーソン党首が糾弾された。賄賂と選挙汚職の決定的な証拠が出された。これは議員買収事件と呼ばれ、同党の結党以来最大の危機となった。ジョゼ・ジェノイーノもまた、党首を辞任し、前ポルト・アレグレ市長のタルソ・ジェンロが党首に就任した。

この政治的危機の中、一部の党員が離党した。その多くは、社会自由党に合流した。

2006年総選挙

2006年9月、総選挙のわずか2週間前に新たな汚職が発覚した。ベルゾイニは、政敵を追い落とすために詐欺師を自称する男から調査書類を買い取った際、党の資金を使ったとされた(党には、政党助成金が国庫から支払われていた)。結局、ベルゾイニはルーラの大統領再選の調整役から退いた。2007年4月25日、高等選挙裁判所は、この汚職事件に関して全裁判官の一致で、ルーラに無罪判決を言い渡した。

サンパウロ・フォーラムは、その設立は1990年だと言われる。当時、ブラジル労働者党は中南米の政党や社会運動団体に接近し、ベルリンの壁崩壊後の国際政治と、それぞれの政府が採用する新自由主義の今後の見通しについての議論の場を提供した。

フォーラムの幹部は、その主たる目的は新自由主義に対抗する広く民主主義的な思想について議論することだと言う。

最初の会合は1990年7月、ブラジルのサンパウロで開かれた。中南米諸国から48の政党と団体が参加した。1991年はメキシコのメキシコシティで開かれ、最初の会議の地名から会議の名称を「サンパウロ・フォーラム」とした。以降、マナグア(1992年)、ハバナ(1993年)、モンテビデオ(1995年)、サンサルバドル(1996年)ポルト・アレグレ(1997年)、メキシコ(1998年)、マナグア(2000年)、ハバナ(2001年)、アンティグア・グアテマラ(2002年)、キト(2003年)、サンパウロ(2005年)、サンサルバドル(2007年)の各地で会議が開催された。

政治的立場

労働者党の会議に参加する政党や政治団体の数は今日100を超えると言われる。だが、その政治的立場は幅広く分かれている・・カトリック教会の影響を受ける草の根の社会労働運動、民族・環境主義者、反帝国主義・国家主義組織、共産党、武装ゲリラ組織など。

これらの団体は、武装革命蜂起から議会民主主義まで多様な主義主張を持つ。例えば、キューバ共産党は過去数十年にわたって独裁体制を敷いてきたが、ブラジル労働者党は複数政党制を支持する。この見解の多様性により、フォーラムの最終的な宣言では、それぞれの主張を併記することになっている。

1990年にこのフォーラムが開催されて以来採択された宣言には、左翼・社会主義思想を改革し、人民解放綱領を再確認し、誤解を修正し、すべての官僚的表現を排除し、真の社会主義的大衆民主主義を追及することが織り込まれる。

最初の宣言では、人権の尊重、戦略的価値としての民主主義と多数決による国家運営との前向きな妥協を標榜する。それは常に左翼政党、社会主義勢力・進歩的勢力に思想・行動の常なる改革を求めている。

1991年メキシコで開かれた第二回フォーラムでは、中南米統合に向けての提案、相互の情報交換、左翼政党間の意見の集約と行動がフォーラムの目的に加えられた。その後の会議では、情報交換や対話の促進が参加者の間で復活し、地域や南米全体でのフォーラムの影響力が拡大するにつれ、多くの国でこのフォーラムの参加者が大統領に選ばれた。

批判的意見

ブラジルの哲学者で保守的な政治家・評論家のOlavo de Carvalhoによると、サンパウロ・フォーラムの活動は、国家主権の転覆を謀り、民主主義を破壊し、南米に共産主義を確立するための大陸全体にわたる陰謀になっている。Carvalhoなどの批判的インターネット新聞の執筆者は、サンパウロ・フォーラムの参加者の中には、コロンビア革命軍などに見られるように、「麻薬密売組織」であり、「テロリスト」であり、「誘拐組織」が含まれていると主張する。


(注)上の赤線で囲った部分は、このページで引用した直後に削除されたようです。Wikipediaのキャッシュに該当部分が残されていましたので検証用に画像として取り込みました。こちらです

創価学会裏金

陰謀論については、その証明力の弱さが指摘されるが、一方で陰謀論の論証の手法として、「当事者の反論・正当性の証明の欠如」が取り上げられる。まさに、権力者に要求されるのは、この立証責任であり、陰謀の立証責任が個人にあるのではなく、権力ある組織・個人に陰謀論の不当性を立証する責任がある。ある種常識なのだが、日本では、この論理が大きく欠如している。「盗人猛々しい(ぬすっとたけだけしい)」とは、まさにこのことだ。

日本には、いろいろな情報があふれているが、中には目くらましの目的でまき散らされっる情報もある。だが、創価学会の次の情報は、一読に値する。それほど、創価学会の情報はない。しかも巷に怪しい創価学会の人間、情報が満ち溢れている。この情報を否定する責任は創価学会自身にある。反論を期待する。

池田大作 名義の個人預金1兆円の行方

日本共産党赤旗新聞

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  2008/12/8  #183

日本の陰謀 (123)

ハワイ真珠湾攻撃の日


今日は12月8日でハワイ真珠湾攻撃の日だ。日米ともに心境は複雑だ。米国のオバマ次期大統領は、この日、日系3世のエリック・シンセキ元陸軍参謀総長を退役軍人長官に指名すると発表した真珠湾が爆撃された12月7日(米国日付)を「恥辱の日」と表現したが、攻撃を仕掛けた日本には言及しなかった。

これまで、多様な分析を行ってきたが、ここでまとめてみる。時間がないので箇条書きにする。読んで欲しい。

日本の陰謀 (98)
真珠湾攻撃の12月8日は、2月8日日露戦争奇襲攻撃を記念して日付が設定された。その日、米国のバルチモアは大火に見舞われた。

日本の陰謀 (15-5)
中国にとって、7月7日「七七事変」は真珠湾攻撃よりも重要な日だ。

日本の陰謀 (85-3)
鹿鳴館は、日本の富国強兵のために建設・利用された。用済みとなったこの建物は、真珠湾攻撃の前年解体された。

日本の陰謀 (8)
日本の年金制度は、ハワイ真珠湾攻撃の年から始まる。当初の目的は、軍事費調達のピンはねだった。今も変わらない。

日本の陰謀 (85-5)
真珠湾攻撃に、日本はユダヤ人・朝鮮人を外務大臣として利用した。

日本の陰謀 (44-1)
オノ・ヨーコは、日本から英米復讐のために米国に送り込まれた。12月8日、真珠湾攻撃の日、ジョン・レノンは暗殺された。

日本の陰謀 (97)
1985年8月12日の日本航空123便墜落事故は、12月8日真珠湾攻撃の日付の語呂合わせだった。坂本九は、真珠湾攻撃の翌々日に生まれた男で、芸名の「九」は、8と10の間を取ったものだ。

日本の陰謀 (4)
9.11テロ事件は、第二次世界大戦の戦犯逮捕の日で、日本は米国への復讐を誓った日だ。9.11テロは、第二の真珠湾攻撃だった。

日本の陰謀 (29-3)
現在の海上自衛隊の輸送艦は、すでに航空母艦の機能を有しており、日本は新たな奇襲攻撃の準備に入っている。

日本の陰謀 (123)
2008年12月8日、日本の侵略を正当化する論文を発表した田母神(たもがみ)俊雄・前航空幕僚長が表彰された。もちろん表彰式は、真珠湾攻撃を記念して設定された
田母神俊雄:アーリントンの
合衆国空軍記念碑にて
受賞について話すアパ
グループの元谷外志雄代表
表彰式に出席した田母神
俊雄・前空幕長

 日本の陰謀 (124) ⇒トップ ⇒索引 ⇒ページトップ
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  2008/12/11  #184

日本の陰謀 (124)

犯罪被害者の会は、警察応援団



刑事裁判に被害者や遺族が参加できる「被害者参加制度」が12月1日から始まった。そこで、取り急ぎ、犯罪被害者の会を取り上げる。

犯罪被害者の会は、事実上、「警察応援団」だ。本当かどうか知りたければ、その会に電話したり、事務所を訪ねてみればいい。実際の事務所は、警察仲間の弁護士事務所に所在地があり、そこの事務員が電話番をしている。

私は、犯罪被害者の会とは、警察や裁判所が十分に救済してくれない案件や、その他、犯罪に関する事案は何でも相談に乗ってくれると思った。ところが、犯罪被害者の会とは、有罪判決の確定した犯罪者の被害者の会、または、検察が起訴した犯罪者の被害者の会であり、警察の認定しない犯罪の被害者には全く関与しないと言う。

特に、「集団ストーカー」や、「組織的嫌がらせ」などの犯罪で警察が、「それは犯罪ではない。」と言う犯罪については、全く関与しない。

結局、「犯罪被害者の会」とは警察・司法の応援団だった。いや、場合によっては、「冤罪事件促進団体」だ。

被害者が傍聴席から検察の隣に

最近の集団ストーカーは、抗議すると、110番して警察の支援を得る。そして、警察とともに、合法的嫌がらせを始める。最後の狙いは、裁判に持ち込み、これら集団ストーカーを偽装被害者として裁判所に誘導し、同じく偽装裁判員のストーカーたちに有罪判決を出させ、戦時中のような、違法な拘禁をおこない、国家に抗議する善良な市民を刑務所に押し込もうとしている。

これまでの日本という国家のインチキは、どこから最終指令が出ているのだろうと考えてきたが、ようやくわかった。戦後の日本の大本営は、「裁判所」だったのだ。私は、会社員として長く裁判関係の仕事にあたらせられた。これは、偶然ではなかった。裁判所が、直接私を監視下においていたのだ。私は、就職した時から、日本の社会体系に疑問を感じ、表面にはださなかったが、内心いつかは真実を見出さねばと思っていた。しかし、私の内心は、警察・公安には100パーセント見透かされていたのだ。

私の家族の一人は、上司の嫌がらせで会社を辞め、勧められるままに臨時職員として再就職した。だがそこは裁判所の隣で、警察・消防の組織内だった。そこでも陰湿ないじめに会い、健康を害した。今振り返ると、全てが警察・行政に仕組まれていたのだが、毎日仕事に追われ、仕組まれたことなど想像だにしなかった。

幸か不幸か私は気がついた。だが、日本や世界には、計画的に長期にわたって陰謀の罠に陥っている人は多いはずだ。

用心深い私がどうしてこのような単純なインチキを見抜けなかったか、よく分析してみた。新たな仕組みがわかった。私の自宅は、これまでの調査で完全に盗聴されている。自宅を解体しない限り取り除けないと言われた。新築、改築、振り返ってみると、すべて疑わしい。建築業者を完全にコントロールする警察にとっては、簡単なことだ。

盗聴により、自分たちの陰謀が、どの程度効果が上がり、どの程度感づかれているかをチェックしている。だから、ばれそうになると、すぐに中止するか、あらたな対策で環境を変える。だから、まず、ばれることはない。

犯罪者被害者の会が全て警察同様腐敗しているとは言わない。だが、裁判所で警察とともに権力者となり、街角で「正義の味方」を振りかざすのであれば、それなりの情報公開は必要だ。元来、犯罪の被害者にはプライバシーはない。それ以上に、事実を知ってもらいたい気持ちが大きい。何故なら、自分自身が偏見の目で見られかねないからだ。

現状では、こういった会を信用するわけにはいかない。過去に、似たような組織に幾度となく騙されてきたからだ。もし、本当に人間としての被害者の会だというなら、警察犯罪の被害者だと主張する人間の意見に少しでも耳を傾け、コメントすることだ。そして、市民が警察と対立した時、どちらの側に立つのか、白黒をはっきりすることだ。

最後に、もうひとつ重要な事がある。それは、この被害者の会が正面から死刑制度廃止に反対していることだ。死刑制度は、言論弾圧証拠隠滅を図る日本政府にとって貴重な制度だ。結局、この会は最初から政府のシナリオに基づいて設立された。その思想は簡単だ。「死人に口無し」。究極の言論弾圧だ。

関連記事

冤罪事件と死刑執行停止を考える (犯罪被害者の会)

参照 和歌山毒物カレー事件 大久保清連続女性殺人事件 帝銀事件

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  2008/12/15  #185

日本の陰謀 (125)

タイミングと攻撃の動作が完全に一致


イラクで14日、記者会見中のブッシュ米大統領にイラク人記者が靴を投げ付けた。会見場は一時騒然となった。ブッシュ大統領にけがはなかった。しかし、ブッシュ大統領はイラク最後の訪問で、根深い反米感情を突きつけられた。

ブッシュ大統領がマリキ首相と握手をした直後、記者席の男が突然立ち上がり、「これは別れのキスだ。おまえは犬だ」と叫びながらブッシュ大統領に靴を投げ付けた。男は警護要員によって取り押さえられた。

ブッシュ大統領は機敏に靴をかわし、けがはなかった。ブッシュ大統領はその後、「なぜ彼が私に靴を投げたかは分からないが、全く恐ろしいとは思わなかった」と述べた。


TheVoiceofReason.com



このテレビ記者は、ムンタデル・アル・ザイディ氏(27~29才)。エジプト本社の衛星放送局アル・バクダディア公式サイト)のイラク支社に勤める。この放送局は、エジプトに本社があるが、イラク人による、イラク人のための放送局だ。過去に記者がテロや事件に巻き込まれている。同記者は、1年前に誘拐事件に巻き込まれた。米軍には二度逮捕された過去がある。

この攻撃は完全に日本式だった。

ブッシュ大統領も述べたように、被害者にはこの種の陰謀はなかなか見抜けない。私の場合は、20年かかった。この種の攻撃が日本式であることから、日本の陰謀に間違いない。このような細かいことまで指図をしている。日本の陰謀であるので話は複雑だが、出来る限り簡潔に説明する。


(1)敵が背中を見せた時に攻撃する。勝ち馬に乗る。

この事例は、個人的な攻撃から国家的なテロまで数多い。今思い出す事例を後日説明する。事件は、フィリピンとスペインだった。私個人に対するストーカーたちもこの手法を頻繁に使う。

(2)人体であれば、頭部を集中的に狙う。

笑うかもしれないが、私は子供の時から頭部を負傷することが多かった。すでに子供の時から、怪我の多さに疑問を抱いていた。ほとんどが他人の傷害事件だ。過失を装うが、今振り返ると実に巧妙に仕組まれていた。覚えている事件だけでも7~8回はあった。私の家族の一人は、近所のストーカー(高校生)の投げた硬球を後頭部に受け、それが原因で脳梗塞を引き起こし死亡した。これも詳細はのちに説明する。不思議なことに、これらの犯罪者の投げつける腕前はプロ級と言えるほど正確だ。今回のイラクの男も、野球でいえば、完全にストライクだった。

 日本の陰謀 (126-1) ⇒トップ ⇒索引 ⇒ページトップ
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  2008/12/20  #186

日本の陰謀 (126-1)

陰謀の中心はオリンピック(1)


これまで陰謀に関連してオリンピックを取り上げてきた。その間徐々にオリンピックの話題が増えてきたことに気づいた。いや、それどころか必ずオリンピックが関係してくる。ここでは、6月23日オリンピック記念日について議論する。この議論は、前述の議論の続きであり、初めて読む人はこちらから先に読んで欲しい

トロント発インド航空機の空中爆発事件(1985年)

すでに様々な陰謀が検証されたが、さらなる疑問が次々と湧いてくる。

1.どうして爆発の場所にカナダが選ばれたのか。
2.何故事故は午前7時に起きたのか。
3.どうして、インド航空機をインド人が爆破せねばならないのか。
4.もう一件の爆破事件は何故日本で起こったのか。
5.何故、成田空港の爆破事件は、1時間前に起こったのか。

これまでの経験と勘で、オリンピックを疑った。もちろん事件はオリンピック記念日に起こっている。カナダのオリンピック記録を調べた。驚いた。カナダは、1984年ロサンゼルスオリンピックで金メダル10個を獲得し、記録的な成績を上げた。

 ■ カナダのオリンピック・メダル獲得数
1902 04 06 08 12 20 24 28 32 36 48 52 56 60 64 68 72 76 80 84 88 92 96 2000 04 08
1 4 1 3 3 3 0 4 2 1 0 1 2 0 1 1 0 0 10 10 5 3 7 3 3 3 3
0 1 1 3 2 3 3 4 5 3 1 2 1 1 2 3 2 5 18 8 7 2 4 11 3 6 9
0 1 0 10 3 3 1 7 8 5 2 0 3 0 1 1 3 6 16 14 16 5 7 8 8 3 6
1 6 2 16 8 9 4 15 15 9 3 3 6 1 4 5 5 11 44 32 28 10 18 22 14 12 18

 カナダ主催モントリオールオリンピック
 モスクワオリンピック・ボイコット
 ロサンゼルスオリンピック(カナダ/メダル数)
 ロサンゼルスオリンピック(日本/メダル数)
 ロサンゼルスオリンピック(フランス/メダル数)


6月23日は偶然ではなかった。

上記の結果でわかるように、84年のカナダは特別だった。何故、カナダは突然強くなったのか。そこには、オリンピックにかかわる各国の国威発揚の裏事情があった。

カナダは1976年、モントリオールオリンピックを開催した。だが結果は散々だった。開催国でありながら金メダルが一個もとれなかった。実は、カナダのスポーツは完全なアマチュア主義だった。選手は自費で週末などの仕事の合間に練習した。これでは勝てない。カナダが悪いのではない。日本などの国策スポーツ振興国が悪いのだ。

しかし、カナダは反省したようだ。国家もスポーツ振興にかかわってきた。その効果は目を見張るものだった。だが、それだけでは、金メダル10個は説明できない。そこには、オリンピック特有の裏事情があった。

西側諸国と共産圏諸国のボイコット合戦

管理国家では、
オリンピックは外交問題ではなく内政問題だ。いかに国威発揚に寄与するかが重要だ。強国は出来ることなら参加してほしくない。メダルを奪われるからだ。

80年のモスクワ大会はソ連のアフガン侵攻に抗議する西側諸国がボイコットした。カナダもボイコットに加わった。次回のロサンゼルスでは、報復として、共産圏諸国がボイコットした。これが、北国カナダに大きく幸いした。かねてより、カナダの選手の得意種目はソ連や東ドイツなどの共産圏諸国に上位を奪われていた。これらのメダリストたちが姿を消したロサンゼルス大会では、カナダの選手が上位に食い込んだ。モントリオールの反省で国家の奨励策を強化したことも大きく貢献した。さらに、このころ共産圏諸国で蔓延していた国家ぐるみのドーピングも大きく影響しただろう。

1980年代の旧ソ連や東ドイツなどの東側諸国では、ドーピングが国家レベルで組織的に行われていた。その世界記録は今でも多く破られずに残っている。

ドーピングの選手らの記録は驚異的であり、そういった選手がいないとオリンピックとしては平凡な記録でも金メダルが取れたのだ。

だが、メダル数を分析してわかるように、共産圏諸国のボイコットの恩恵を日本やフランスは受けなかった。それどころか、やすやすとカナダに順位を奪われた。これは全く予想外の展開だった。ここでカナダの躍進にブレーキをかけておかないと大変な結果になると恐れたことだろう。

今になってわかることだが、ソ連のアフガン侵攻とオリンピックは、原因と結果が逆だった。アフガン侵攻のためにオリンピックのボイコットが生じたのではなく、ボイコットさせるためにアフガン侵攻を行った。ソ連にとって、オリンピック会場に米国の金メダル、国旗掲揚、国歌演奏は敗北以外の何物でもなかった。それゆえ、アフガン侵攻は、世界中がクリスマス・イブに浮かれていた1979年12月24日静かに行われた。今年の北京オリンピックでもロシアは南オセチア侵攻という同じ過ちを犯し、フランスが介入した

東京オリンピックから東京オリンピックまで

オリンピックに戦争は付き物だ。
1940年東京オリンピックの招致から返上に至る日本の対応は、まさに軍事、経済、政治を総動員した戦争にまみれたものだった。一言でいえば、1929年日本は世界大恐慌を引き起こし、オリンピックを軌道に乗せようとした。だが、1936年のベルリン大会がヒットラーの大勝利(メダル獲得数第一位)に終わり、日本には選択肢がなくなった。選手の強化策もうまくいかない。1938年に日本はオリンピック開催を辞退し、代わりにフィンランドのヘルシンキが決定した。

日本は綱渡りをしたが、失敗したのだ。日本は、英米などの強国と中国にボイコットして欲しかったのだ。イタリア・ドイツは八百長をお願いできる(金メダリスト西竹一の八百長)。中国は1932年ロサンゼルスオリンピックから選手を派遣していた。米国は日本の意図を知ってか知らずか、ボイコットを通告してきた。だが、日本はもうやりすぎていた。世界中から米国追随の動きが出たのだろう。日本の夢(メダル獲得数第一位)は実現不可能となった。こうなった以上、日本に残された道は戦争しかなかった。目的は、ヘルシンキの破壊だった。ヘルシンキオリンピックの前年、ヒトラーは1939年9月1日、突然軍を北に向けた。だが、フィンランドまでドイツ軍は届かなかった。今度はソ連にお願いした。ソ連は11月フィンランドに侵攻した(冬戦争)。これでヘルシンキのオリンピックは中止された。

だが、日本にとって1940年は皇紀2600年であり、オリンピックは「紀元二千六百年記念行事」の一環であった。日本は、満州国、占領下の中国、タイ、フィリピン、ハワイから選手を招待し、総勢700名の選手で明治神宮競技大会(the East Asian Games)を強行開催した。

次は、ロンドンだった。ここも叩かねばならない。1940年はドイツ軍が徹底したロンドン爆撃をおこなった。疲弊した英国はロンドンオリンピックを中止した。日本にとってドイツの英国攻撃は重要だった、香港・シンガポールの英国艦隊を孤立・弱体化させる必要があった(ヒトラーが英国への戦闘を中途半端に終わらせたのは、オリンピックが中止され、香港シンガポールが陥落したからだ)。この作戦はうまくいった。結局、日本は得意の、「後出しじゃんけん」を行ったのだ。「奇襲攻撃」を強調するのは、それを隠すためだ。実は、日本の戦争は、遥か以前からシナリオが始まっていた。

結局、第二次世界大戦は、東京オリンピックの引き延ばし、その間のオリンピックの妨害工作の一環だった。戦後は、アジアで日本だけが高度成長を遂げたが、今日考えると、朝鮮戦争毛沢東の孤立政策など、すべてが日本の経済発展に都合よく動いた。今日の中国を見れば、戦後20年もの間の経済停滞は尋常ではない。ドイツが分割されたのも日本のオリンピックに都合がよかった。結局、1964年の東京オリンピックでは、日本は世界一でこそなかったが、米国、ソ連につぐ第三位の成績を残した。

旅客機が爆破されたのは、ロサンゼルスオリンピックの翌年のオリンピック記念日1985年6月23日で、インド航空の便名は、「182便」だった。この182は、国際オリンピック委員会創設91周年を記念して、その二倍の数字が選ばれた。

続きは次項で説明する。

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  2009/1/3  #186B

日本の陰謀 (126-2)

陰謀の中心はオリンピック(2)



インド航空182便は何故午前7時に爆破されたのか

日本のテロには多くの「ほのめかし」が含まれる。何故ほのめかしが必要かについては別に述べる。このほのめかしの要素の中に、「日付」がある。地球規模の陰謀では、日付はややこしい。

問題は、日付変更線だ。事件の報道と記録において日付が一日異なると、ほのめかしの効果が薄れる。それで、日本のテロは一定の時間帯が選ばれる。基本的には、関連国が同じ日付になる時間帯だ。例えば、欧米と日本が関連する場合、世界標準時で午前6時から午後1時の時間帯が選ばれる。この検証は別に述べることにして、代表的な陰謀テロ事件を取り上げてみる。

事件名 日付 現地時間 世界標準時 関連国
インド航空182爆破事件 1985.6.23 午前7時 午前7時 日仏カナダ
日本航空123便墜落事故 1985.8.12 午後7時 午前7時 日米
アメリカ同時多発テロ事件 2001.9.11 午前8時 午後1時 日米
スペイン同時多発テロ事件 2004.3.11 午前8時 午前7時 スペイン日米
ロンドン同時多発テロ事件 2005.7.7 午前9時 午前9時 英日中
四川大地震 2008.5.12 午後2時 午前6時 日中仏

これに比べて、関連国が一地域に偏っている場合、日付をまたぐ時間帯が深夜になるので、テロ実行時間帯は特別考慮されない。

事件名 日付 現地時間 世界標準時 関連国
大韓航空機爆破事件 1987.11.29 午前11時 午前5時 パレスチナ・韓国
パンアメリカン航空103便爆破事件 1988.12.21 午後7時 午後7時 米国・カナダ・英国
ムンバイ同時多発テロ 2008.11.26 午後9時 午後3時 インド・スリランカ



等時間帯地図

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  2008/12/30  #187

日本の陰謀 (127)

バングラデシュに民主主義もどるか


7年ぶりに実施されたバングラデシュの総選挙で、ハシナ元首相(61)率いるアワミ連盟(AL)が3分の2以上の議席を獲得し、地すべり的勝利を収めた。

バングラデシュはかつて、ガンジス川のもたらす肥よく土によって「黄金のベンガル」と呼ばれ、世界有数の農業地帯だった。だが、71年にパキスタンから独立して以来、軍政が敷かれ、初めて実施された91年の総選挙以降、バングラデシュ民族主義党(BNP)とALが選挙のたびに政権を奪い合ってきた。今でも汚職やテロなどの暴力に国民は悩まされている。

今回の総選挙では、各国大使館員ら2500人が国際監視員として投票所や開票所を監視した。


ハシナ氏は、イスラム教徒の多いバングラデシュにおいて、イスラム過激派を取り締まると誓った。 ハシナ氏の父シェイク・ムジブル・ラフマン大統領は、1975年8月15日暗殺された。この日、日本の三木首相は終戦記念日の靖国参拝を行った首相の靖国参拝と外国の大事件が重なることが多い。 情報が不足しており、予断は許されないが、大きな前進と期待したい。

参照

日清戦争開戦    ヒ素カレーとバングラデシュ

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  2009/1/8  #188

日本の陰謀 (128)

門地と家柄(2)


(29-4) 項で、「門地」と「家柄」の言葉の用法については既に述べた。それ以来、気になったので、ニュースの検索をしたが、ニュースの記事で「門地」という言葉は見当たらなかった。人名としての「門地」がたまにリストに掲載されるのみだった。ところが、今日、AFPニュースの記事に「門地」の使用例を見つけた。調べてみた。新たな発見があったのでこの項で述べる。

日本の行政用語に「家柄」は存在しない。

徳 川 葵

日本には、行政上、特に人権問題に関して、「家柄」という概念は存在しない。人権問題では、必ず、「門地」という言葉が使われる。 そして、テレビ・新聞などのマスコミや学校教育では、「門地」という言葉は事実上使用禁止だ。 その結果、大方の国民は、憲法・法律・条約の文章で「門地」という言葉を読んでも、意味が理解できない。 これは、言葉を使った情報操作、翻訳を通した情報操作だ。 内容が重要であるだけにその罪は重い。 これも気がついた氷山の一角の事例であり、日本政府の陰謀は奥深い。

世界人権宣言 日英対照

(外務省 仮訳文 和文)

第二条

1  すべて人は、人種、皮膚の色、性、言語、宗教、政治上その他の意見、国民的若しくは社会的出身、財産、門地その他の地位又はこれに類するいかなる事由による差別をも受けることなく、この宣言に掲げるすべての権利と自由とを享有することができる。

(外務省 仮訳文 英文)

Article 2

Everyone is entitled to all the rights and freedoms set forth in this Declaration, without distinction of any kind, such as race, colour, sex, language, religion, political or other opinion, national or social origin, property
, birth or other status.

英辞郎(ネット辞書)

birth
【名】
1.出生、出産、分娩、誕生◆【略】b
2.家系
・Birth is much, but breeding is more. : 家柄よりも育てられ方が大切。/氏より育ち。
3.起源


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この辞書にあるように、「birth」の日本語訳には、「出生」や「家系」「家柄」が使われる。少なくとも、私は「門地」などと言う訳文は、行政文書を除いて見たことがない。

Google検索エンジン検索結果

良い家柄」の検索結果(本日) 6620件

良い門地」の検索結果(本日) 3件
------------------
このように、「門地」の使用頻度は、「家柄」の2000分の一であり、もはや、死語になっている。こういった、基本的な日本語の用法を検討し、言葉を入れ替える立法措置や行政措置が国会や省庁で行われない限り、年月の経過とともに、行政文書そのものが死文となる。

参照

「ユダヤ人」という言葉の異様な響き

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2008/2/1   ##
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