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79  2万人の連合軍兵士を虐殺した冷血日本兵は、今日幸せに暮らしている 2008/5/9
79-1  重巡洋艦利根の艦長 黛治夫 2008/5/12
80  捕鯨船団は海上自衛隊の別働隊 2008/5/13
81  競艇ギャンブルとミャンマー軍事政権 2008/5/20
82  二人の読売ジャイアンツ・ゴンザレスを不幸が襲う 2008/5/27
83-1  TICADと呼ばれるアフリカ開発会議 2008/6/2
83-2  ティカッド(TICAD)という奇妙な造語 2008/6/4
83-3  アフリカと言えば 鈴木宗男 2008/6/4
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  2008/5/9  #119

日本の陰謀 (79)

2万人の連合軍兵士を虐殺した冷血日本兵は、今日幸せに暮らしている


先日 英国誌デイリー・メールで後述の記事を見つけた。旧日本軍の残虐行為を聞くたびに、この日本人の性癖は変わっていないと思う。今日でも正直な日本人は様々な人間から脅され黙らされている。実際、日本社会から疎外されているのだ。ところが、この手の陰謀は手が込んでおり、その被害者は何故こういった嫌がらせを受けるのか、何が悪いのか理解できないことが多い。それで、本題に入る前に今日の日本社会について少し触れてみる。

知覧特攻平和会館

ある日、私はカナダ人の友人とこの会館を訪れた。この友人は特攻隊のパイロットと文通しており、そのパイロットの写真を見たいと言った。それで、案内人に尋ねてみた。すると、その案内人は、「ここの会館には亡くなられたパイロットのみを展示しています。存命の方の遺留品は展示していません。」と答えた。

この話は現在の日本社会をまざまざと映し出す。第二次世界大戦を経験した兵士は政府から緘(かん)口令を敷かれた。表面上は政府は何もしない。だが、実際は、あらゆる人間を使って正直に事実を話す人間を黙らせる。戦後60年以上経つが、未だにこういった封建的な制度を続ける。いや、この統制はますます強化されている。

日本は本当に二枚舌社会だ。戦後、日本兵は脅され完全に黙らされた。だが、こういった兵士が死ぬや否や突然靖国神社に祭られる。それゆえ、多くの日本人にとって、有名政治家の靖国参拝は、正直な兵士や口答えする国民に対する残酷な仕打ちの、単なるごまかしでしかない。死んで兵士は、必ず尊敬される。何故なら、「死人に口なし」だからだ。

過去に痛みつけた人を、死んだからといって尊敬する人は絶対にいない。

約2割の日本兵は本当に残虐だ。残りは正直であるが、それゆえ脅される。今日でもこの社会構造は続く。悪いことに、この2割の悪人どもは、完璧な偽善者だ。表面上は礼儀正しい紳士を気取る。この特攻平和会館の石碑はその一例だ。

2万人の連合軍兵士を虐殺した冷血日本兵は、今日幸せに暮らしている
デイリー・メール 2007年11月3日


第二次世界大戦中の最悪の戦争犯罪者である旧日本兵が、今日日本で何ら罰せられず生きていることを暴露する本が発刊された。

イギリスの海軍史家マーク・フェルトン氏は、戦時中の 大日本帝国海軍 ヒトラーの率いた ドイツ海軍よりもはるかに残虐であったことを明らかにした。

フェルトン氏によると、大日本帝国海軍将校は、 ジュネーブ条約に違反する故意の残虐行為により連合軍水兵2万人と数多くの市民を殺害することを命じた。

フェルトン氏は、「こういった虐殺行為を行った日本兵の多くは未だに健在だ。」と言う。

「この60年間、この男たちは何の不自由なく生きている。生き残った敵兵を虐殺したことで罪に問われた事件は、ドイツの Uボート艦長の1件だけだ。大日本帝国海軍では、それは正式な上官からの命令だった。」

フェルトン氏は、残虐行為をリストアップし、「日本海軍は連合軍の商船や 病院船を沈没させ海上や救命ボート上の生存者を虐殺した。」と言った。

「海上から救出された連合軍パイロットは、その後、甲板上で拷問により殺された。」

海軍陸戦隊は市民を包囲し、レイプし虐殺した。中には、鮫の餌として海に放り投げられる者もいた。他の者たちは、大槌、銃剣、斬首、絞首刑、溺死、生き埋め、火あぶり、磔(はりつけ)などで殺された。

「私は、捕虜の生体解剖実験が海軍軍医により行われたことの詳細を突き止めた。」

フェルトン氏の調査により、英国海軍を模範としたと言われた日本海軍の行った戦争犯罪の全貌が始めて明らかにされた。既に所在不明となっている文書を考慮すると、少なくとも12500名の英国兵と7500名のオーストラリア兵が虐殺された。

フェルトン氏は1944年3月9日、 重巡洋艦利根により撃沈された 英国商船ビハール号の事件を引用する。利根の 黛治夫艦長 海上の生存者を引き上げ10日間甲板の下に閉じ込めたあと手錠をしたまま船尾に集めた

腹と股間を日本兵から蹴られ、一人ずつ日本刀で首をはねられ、海に放り投げられた。

上級将校の三井純輔氏は指令に背いて連合軍に協力した。だが、実際の戦争犯罪に関する証拠を示したのは拘束されていた時だけだった。一方、その犯罪行為を行った将校の多くは戦後も責任追及を免れた。

伊号第八潜水艦の甲板上で虐殺される連合軍兵士を見つめる日本の水兵


英国商船ビハール号
生き残った船員は日本刀で首をはねられた。



捕虜を虐殺する残酷な日本兵


フェルトン氏はまた、当時21才の無線技師で オランダ船籍の商船チサラク号に乗り合せた数人の英国人の一人、ジェームズ・ブレアース氏から聞いた恐ろしい話を述べた。乗客・乗組員103名を載せてメルボルンからセイロンに向けて航行中のチサラク号は1944年3月26日、 伊号第八潜水艦の発射した魚雷を受け沈没した。

ブレアース氏と他の生存者は、海上から引き上げられたり救命ボートから潜水艦に乗り移るよう命じられた。そして全員潜水艦の前部甲板に集められた。

内野信二艦長は司令塔から不吉な命令を発した。「後ろを振り向くな。振り向いたらいやな目に会うぞ。」・・ブレアース氏は思い出す。

捕虜は一人ずつ射殺されたり、日本刀で首をはねられたり、大槌で殴られたりして殺され、回転するスクリューに投げ込まれた。

ブレアース氏は言う・・「捕虜の一人は頭を半分割られ甲板上でのた打ち回った。他の者たちは一振りの刀で殺され海に投げ込まれた。日本兵は笑っていた。映写機でこの全てを撮影する者もいた。

ブレアース氏は自分の番を待ち、手を縛っていた紐を振りほどき、海に飛び込んだ。機関銃の雨が降ってきた。

数時間泳ぐと救命ボートにたどり着いた。そこには二人の船員がいた。その後、一人のインド人船員も加わった。この船員は、仲間22名とともに伊号第八潜水艦の後部に紐で結ばれ、その潜水艦とともに海中に引きずり込まれた。逃げおおせたのはこの船員だけだったと言う。

日本国内で英雄と賞賛された内野は内地で終戦を迎え、刑罰を免れた。

フェルトン氏は言う。「こういった行為は、1943年3月20日発せられた海軍指令に基づいている。----敵国の船舶や貨物が沈没する時、攻撃を中止してはならない。同時に、船員を完全に殺害せよ。----」

その指令後数ヶ月で
伊号第三七潜水艦は英国商船4隻と軍艦1隻を撃沈したが、生存者は海上で機銃掃射で殺された。

その潜水艦の艦長は戦争犯罪裁判で8年の実刑を言い渡されたが、日本政府は、艦長の行為は正当な戦争行為であったとして、3年後に艦長を釈放した。

フェルトン氏は言う。「最も大きな問題は、日本の戦争犯罪、戦争に関する有力政治家の非常識な発言と歴史の書き換えについて、日本人が見て見ぬふりをすることだ。」

日本人は大東亜共栄圏と呼ぶ植民地解放運動で一般市民3000万人を殺害した。そのうち約2300万人は中国人だった。

これは犯罪だ。犠牲者の数は、ナチスによる ユダヤ人大虐殺をはるかに上回る。ドイツでは、大虐殺がなかったと言うことは犯罪だ。日本では、それは政府の方針だ。日本国内ではほとんど見つからないが、海軍の悪行の証拠は全くひどいものだ。

日本海軍の制海権の広さ、行為自体の凶悪性、将校や兵士の残虐行為は、ほとんど想像を超える。

例えば、1942年2月24~25日、ジャワ島のラハ空港防衛の任務に当たり捕虜となったオーストラリア兵とオランダ兵312名が畠山少将の命令により処刑された。

オーストラリア軍の尋問で二人の日本人から得られた証言は、連合軍で生き残った者はいなかったという事実だった。

「最初の捕虜は、穴の縁に連れて来て座らせられた。佐々木兵曹長が日本刀でその捕虜の首をはねた。見守る日本人の間から大きな歓声が沸き起こった。」と一人の日本人水兵は述べた。

佐々木は、さらに4人の捕虜を処刑した。やがて下っ端の水兵が来て殺戮(りく)を続けた。

処刑が失敗に終わると日本兵たちは笑って冗談を飛ばした。首が半分繋がったまま弱々しく震えてうなり声を上げる捕虜を穴に蹴飛ばした。

オーストラリアは畠山を裁判にかけたが、畠山は裁判の前に死んだ。4人の将校は絞首刑に処せられたが、連合軍側の証人がいないことからその他の裁判手続きは難航した。

フェルトン氏は、「連合軍の中でも米国は戦争犯罪の情報集めに最も熱心だった。」と言う。1945年にフィリピンで一人の米国兵捕虜を生体解剖した上野軍医と8人の日本兵は絞首刑にされた。

しかしながら、英国当局には米国のような人材、資金、資材が欠けていた。50年代に入って、英国労働党政権の日本の戦争犯罪追求は不十分なものになった。

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  2008/5/12  #119-1

日本の陰謀 (79-1)

重巡洋艦利根の艦長 黛治夫(まゆずみはるお)


名誉を受けて生き続ける 戦争犯罪者

私は日本軍の戦争犯罪者たちは戦後小さくなって生きているだろうと思っていた。ところが事実はそうではない。彼らは大きな顔をして生きている。

人間は完璧な生き物ではない、当然過ちは犯す。だが、問題は、それからだ、過ちを犯した後の行動が、その過ちの真実を物語るのだ。黛治夫はその一例であり、ここで紹介する。

幸せに生きる戦争犯罪者たち

今の日本社会の問題点は、この「幸せに生きる」ことにある。戦争犯罪者にも死刑が言い渡されない限り生きる権利はある。普通の人として生きるのなら問題はないだろう。日本の問題は、この人間達が権力と名誉を求め、それが完全に実現されることにある。戦争犯罪者は敵国だけでなく日本国民にも敵は多い。言論の自由が保障されれば、いろいろな非難を受けることになる。これは辛いことだ。だが、それは自業自得であり、一般の無実の国民が黙らされたり、嫌がらせを受けねばならない道理はない。

事例は数多いが、ここでは黛治夫に限って述べてみる。

昭和12年、ドイツの軍港に寄港した足柄

捕鯨母船「日新丸」

生体解剖から鯨の解剖に、 大砲から捕鯨の 銛(もり)

人間は年を取ると新たなことに挑戦することが苦しくなる。むしろ、昔取った杵柄(きねづか)を披露することは限りなく心地よい。驚いたことに黛治夫は捕鯨船の仕事に就いていた。

1860年代の捕鯨砲と蒸気動力付きのボートが発明され、近代的商業捕鯨が始まった。現代の捕鯨船には、大型の鯨を捕るために捕鯨砲が積載されている。ナガスクジラ属の鯨は、死ぬと海中に沈んでしまうため、従来の手持ち式の銛を投げて殺す方法では鯨体を収容することが不可能であった。

現代用いられている捕鯨用の銛は、船首に取り付けられた 捕鯨砲(ほとんど大砲のような代物)と、そこから射出される太いロープに繋がれた巨大な槍から構成される。銛の先端部は、水面やクジラの皮層で跳ね返らずに直進して鯨体に貫入するように、弾頭を平らにして摩擦を大きくする形状になっている。さらに、刺さった銛が抜け落ちるのを防ぐため、鯨体内に入ると装てんされた火薬が爆発して鋭いスパイクが開き、銛をクジラの体内に固定する。そのため、モーターでロープを引くことによって、捕鯨船は船の方へクジラを引き寄せることが可能となっている。

砲術と虐殺の大家である黛にはうってつけの職業だった。彼は 極洋捕鯨株式会社にいた。

オレは捕鯨部の黛だ。吉永クンは君か?海軍のことをよく知っているんだってなあ。若いのに偉い!」

捕鯨中止は第二の敗戦

戦後の捕鯨は、戦争犯罪者達の新たな活動領域となった。砲術においても生体解剖においても、「先生」と呼ばれる。たまらない喜びだ。これでようやくわかった。 日本は、絶対に捕鯨は止められない

旧日本海軍の中には、 オーストラリアの捕虜になり武装解除させられた苦い経験が脳裏に焼きついている者も多いだろう。中には、将来オーストラリアに雪辱を期す覚悟の者もいるだろう。海上からの 奇襲攻撃には、長年にわたる気象情報、海岸の地形情報(特に珊瑚礁の状況)、海流情報の蓄積はかかせない。最近は、 太平洋からインド洋まで 気象操作の実験場となっている。


カウラ捕虜収容所

オーストラリアとの戦いは続く

2008年1月15日にオーストラリア連邦裁判所は、豪政府の設定した「クジラ保護海域」での日本の調査捕鯨の差し止めを命じた。これに対して、日本の 水産庁遠洋課は「びっくりする判決で『 そんなの関係ねぇ』といったところ。豪裁判所が自国民に対して要求するならまだしも、日本国民に対して要求するのはおかしな話。絶対に受け入れられない」と表明した。

捕鯨船の軍事転用

第二次世界大戦では、キャッチャーボートが 駆潜艇 掃海艇として各国で使用された。第二次世界大戦時の日本では95隻のキャッチャーボートのほか 輸送船用に捕鯨母船6隻全部が徴用され、うち67隻のキャッチャーボートと捕鯨母船すべてが戦没している。また、元々捕鯨船を参考に作られた護衛艦であった 英国海軍のフラワー級コルベットは、戦後日本などで捕鯨船として使用された。

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  2008/5/13  #120

日本の陰謀 (80)

捕鯨船団は 海上自衛隊の別働隊


日本の 戦争犯罪を調べると 捕鯨問題にたどり着くとは思ってもみなかった。だが、全てが明るみに出た今、日本の捕鯨船団が海上自衛隊の別働隊であることを確信した。 理由は以下のとおりだ。

軍事活動のごまかし

第二次世界大戦を振り返るとよくわかることだが、戦争は最後は人間と人間の戦いだ。資源や資金や最新兵器がどれだけあろうと、優秀な兵士がいない軍隊は無力に等しい。最新兵器は、原料と設計図があれば簡単に複製を製造できる。だが、兵士は簡単には作れない。優秀な兵士は時間をかけて選抜し、訓練を重ねて技術を磨かせねばならない。訓練だけでは不十分だ。実戦経験は不可欠だ。


H-IIAロケット13号機

しかし、軍事訓練は当然周辺国の目に留まる。戦争、特に侵略戦争では、相手国を油断させ、軍事力を弱体化させることも重要だ。その点で、捕鯨船団は海上自衛隊にとって格好の訓練場所を提供する。 ナガスクジラは敵潜水艦攻撃の訓練標的となる。 捕鯨砲は実弾砲撃訓練になる。クジラの解剖は、敵兵の人体実験の訓練になる。

種子島宇宙センターは、 大陸間弾道ミサイルの実験場だ。 地対空ミサイルは固体燃料を使い技術が全く異なるので、 内之浦宇宙空間観測所で発射実験が行われる。

軍事予算のごまかし   日本の軍事費

日本の軍事費には大きな問題がある。まず軍事費の定義が曖昧だ。

1. 約1兆円と言われる軍人恩給が軍事費に含まれない。これは外国では含まれる。また、正確な金額もわからない。 防衛省は、これらの軍人は、旧日本軍であり、防衛省の予算とは考えないと言う。笑わせる。

2. 海上保安庁の経費が含まれない。 予算は1900億円ということになっているが、中身はほとんど理解不能だ。人件費が含まれるかどうかもわからない。また関係者の年金も軍事費になる。最近の 巡視艇は機関砲を備えている。海外では、沿岸警備費用は軍事費に計上される。当然だろう。 日本の警察は海上も取り締まる。一体、海上保安庁との境界はどこにあるのだろうか。

3. 宇宙航空研究開発機構の2004年度の宇宙開発予算は1800億円だ。このほかにも軍事技術関連の費用が 科学技術庁関連で支出されている。

4.これらの予算額が実態を反映しているかどうかは疑わしい。だが、世界の中での日本の位置づけを見てみる。 日本の軍事費は世界で第五位だ。しかし上記の事情を勘案すると第二位になることは間違いない。

指揮系統のごまかし

自衛隊法第80条によると、有事の際、特に必要な場合には、海上保安庁は防衛大臣の指揮下に組み入れられる。海上保安庁は海上自衛隊の一部だ。

日本の警察組織は一般的には 自治体警察とみなされることが多い。しかしながら、 都道府県公安委員会ではなく、 警察庁 都道府県警察への指揮命令権を有すること、警察庁および道府県警の警察本部の幹部は 国家公務員であることから事実上は 国家警察だ。

捕鯨と 遠洋漁業

捕鯨でもそうだが、 漁船は戦時には軍用に切り替わる。平時でも海外の港に入港するときのチェックは甘い。秘密物資・資金の引渡しは容易だ。最近は GPSのおかげで、海上での引渡しは簡単に出来る。日本人は魚が好きだと言われるが、昨今の 牛肉騒ぎなどを考えると、政府の強力な誘導が感じられる。例えば、 宴会は魚料理と決まっているが、誰が決めたのだろうか。

とにかく遠洋漁業は海軍予備隊の強化となり重要だ。その遠洋漁業の最大の敵が「クジラ」なのだ。クジラが減れば、 遠洋漁業の漁獲高は跳ね上がる。遠洋漁業が拡大すれば海軍予備隊が強化され。世界中の海上の調査、情報収集、 諜報活動 破壊活動などが自由に出来る。世界各国が 排他的経済水域の設定を行ったり、捕鯨の禁止に動くのは、なにも水産資源だけの問題ではない。裏には、こういった日本の深刻な問題がある。

日本が捕鯨問題で世界と協調するのは、日本が軍事拡大という野望を捨てた時だけだ。

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  2008/5/20  #121

日本の陰謀 (81)

競艇ギャンブルとミャンマー軍事政権


私は、たまたまビルマの新聞を読んだ。この新聞は、IRRAWADDYという新聞で、ネット上の説明では亡命ビルマ人ジャーナリストの発行する、不偏不党の新聞のようだ。だが、中身は私を圧倒した。嘘で書ける内容ではない。一応紹介する。不適切な翻訳は容赦ください。

日本にとっての敗戦の意味

この記事を読んで痛切に感じたことは、日本人には戦争とスポーツの区別がないことだ。スポーツは確かに参加することに意義があり、試合の勝敗は結果であり、全力を尽くして戦うことに意味がある。

だが戦争は違う。本来、戦争は通常の国家ではありえない。犯罪国家(侵略国家)が出現し、犠牲者が増え、自衛・救援のために軍隊を派遣して戦争になる。確かに、武力の優劣で勝敗は決まる。だが、人道上の犯罪と正義の違いは人類の歴史に深く刻み込まれる。人類の歴史を見れば明らかだ。野蛮の限りを尽くして帝国を築いた国家は、その後の歴史は無残だ。かつて チンギス・ハーンは「 敵国を滅ぼしてその国の皇女をレイプするのが最大の楽しみだ。」とうそぶいた。ローマ帝国末期にローマを占領した野蛮民族の代表 ヴァンダル族は滅亡すると、その跡形もない。

オリンピックと戦争の区別のつかない日本人が多いことは悲しいことだ。

IRRAWADDY 2007年12月

波乱万丈の慈善団体


ミャンマーで活動する日本の二つの団体は第二次世界大戦中、極右 戦争犯罪者に関わっていた。

1945年12月の寒い日、東京の 巣鴨拘置所に向かって一台のトラックが走っていた。荷台では40代半ばの男が、「バンザイ、バンザイ」と叫んでいた。そのトラックに続いて、軍楽隊が 軍艦マーチを演奏して追走した。

戦犯容疑者の 笹川良一は、旧日本軍幹部を収容する米軍巣鴨拘置所に自ら出頭するところだった。笹川は上海に本拠地を構え、中国から金、ダイヤモンドその他の貴金属を略奪し、陸軍の要求する物は何でも供給した。

当時の笹川の仲間に 児玉誉士夫がいた。児玉は後に 暴力団の指南役で政界の 黒幕となる。戦後この二人は刑務所仲間となった。

1947年6月に 米国諜報機関の作成した報告書には、「笹川は20年以上にわたって軍事侵略と 国粋主義を唱える日本政府の背後で活動した。多額の資金を持っているが、管理はずさんだ。権力維持のためには金は惜しまない。打算にもとづいて行動するだけの男だ。」と書かれている。

20年後、笹川は自分の名前をつけた国際財団の会長になった。この基金は主にアジアの健康と教育に関する活動を行う。笹川は平和を愛すると言い、そのグループの中には、 笹川平和財団というものもある。笹川は1995年に死亡したが、笹川の人生最大の後悔は ノーベル平和賞を受賞しなかったことだと言われる。

当初からミャンマーは笹川財団とその関連団体の 日本財団が特に活発に活動する地域の一つだった。児玉誉士夫とともに1940年代後半の巣鴨拘置所で笹川の囚人仲間だった男に、1957年から1960年まで首相となった 岸信介がいた。岸は、日本国内のビルマ人団体を率いた。また、1987年までミャンマーのあらゆる援助事業に関与した11の商社からなる 日本ミャンマー協会も指揮した。

最近では、笹川財団と日本財団は健康関連計画のほか、 ミャンマー国際戦略研究所の主催する「ミャンマーにおける国際経済の研究」に関するセミナーを支援してきた。笹川財団は2000年3月創刊の週刊誌「 ミャンマー・タイムズ」に出資している。だが、オーストラリアの月刊誌「 ディプロマット」は、その2007年11月・12月号で、その週刊誌は単なる軍事政権の応援団だと酷評した。

山口洋一元駐ミャンマー大使は最近、ヤンゴンでの僧侶たちによる反政府デモを弾圧する軍事政権を公然と支持し大きな非難を浴びた。 山口大使は、笹川財団とつながっていた。2003年12月14日 ミャンマー国営紙「ミャンマーの新しい灯」は、軍情報局長 キン・ニュン将軍が、日本財団(12年前に死亡した戦争犯罪者笹川良一の三男 笹川陽平が会長に就任)とともに山口大使を受け入れていたことを報道した。

これは驚いた。笹川が平和を愛する人になったのは本当か。笹川の波乱万丈の過去を見るだけで、この変身を信じることはできなくなる。

笹川良一は1899年大阪の裕福な酒屋で生まれた。1930年代に極右の 国粋大衆党総裁に就任、党員は15000人に達した。党員は、 ムッソリーニ ファシスト党の制服に似せたイタリア風黒シャツを着た。自ら飛行機を所有し、日本陸軍に物資を供給した。

1939年笹川良一は 自分の飛行機でローマに行き、ムッソリーニに会った。数年後笹川は当時を後悔して、「 ヒトラーに会いたかった。ヒトラーから無電で待機するよう要請があったものの、会う時間がなかった。残念だった。」と述べた。


戦後の問題は、1940年代後半から拡大した共産主義運動に対処するため、日本の駐留米軍が極右団体に力を必要としたことだ。結局、1948年、笹川、児玉、岸の三人は全員釈放され以前の組織を復活させることを許された。

児玉は暴力団を取りまとめた。岸は首相になり、笹川は、当時日本で唯一認められた公営ギャンブルであった競艇を独占した。その結果笹川は巨大な富を築き様々な極右団体の支援を行った。1974年、タイム誌で笹川は、「私は世界一の金持ち ファシストだ。」と言った。

日本国内では、笹川は、 全日本愛国者団体会議 青年思想研究会などの右翼系暴力団を支援した。

海外では笹川は 世界反共連盟と連携し、アジアの右翼団体、 パラグアイの恐るべき秘密警察長官パスター・コロネルなどの南米ファシスト、第二次大戦中ドイツやイタリアに協力したクロアチアの ウスタシャ党員、ルーマニアの 鉄衛団、ウクライナのナチ党員、および米国の諜報組織の旧メンバーを糾合した。

そして慈善事業だ。全ての金はもちろん不幸なギャンブラーから巻き上げられたものだ。だが、名誉と名声は笹川が得る。笹川の子供たちは未だに他人の金をばら撒いて名声を得る。日本財団の理事は今日でも、 全国モーターボート競走会連合会の著名な役員を含んでいる。

笹川とミャンマーの関係は偶然ではない。両者の関係は軍参謀総長 ネ・ウィンが第二次大戦中に日本の秘密警察「憲兵隊」の訓練を受けてから始まる。今日、笹川の財団とミャンマーの軍事政権は明らかに良好な関係を結んでいる。世界でも最も不思議な組み合わせと言われるこの二つの「慈善団体」は、その過去と背景を知る者にとって何の驚きでもない。



ミャンマーの新聞がこれほど日本にこだわるのには理由がある。それは 日本とミャンマーの関係だ。

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  2008/5/27  #122

日本の陰謀 (82)

二人の読売ジャイアンツ・ゴンザレスを不幸が襲う


二人のゴンザレス

私は野球に関心がない。野球というスポーツに興味はあるが、八百長試合を楽しむほどの余裕はない。ニュースを聞き流していると、ゴンザレスのドーピング問題が報じられていた。またもや外人いじめかと思ってネットのニュースを検索した。だが、ネットの記事ではゴンザレスは死んでいた。何と、読売巨人軍にはゴンザレスは二人いたのだ。

ルイス・ゴンザレス

1979年 ベネズエラ マラカイに生まれる。
1996年、 クリーブランド・インディアンスに入団。
2003年、 コロラド・ロッキーズに移籍。
2004年、開幕スタメンで メジャーデビューを果たす。
2007年、巨人が獲得を発表。
2008年5月ドーピング疑惑事件が起こり、巨人は契約を解除。

ゴンザレス選手は27日午前1時前から、都内の球団事務所で記者会見をし、薬物使用の事実を否定したうえで、NPBアンチ・ドーピング特別委員会に異議申し立てをすることを表明した。 検査結果には「科学的な事実としてのまざるを得ない」としたが、一方で「意図してそういう薬を飲んだことはない。代理人と話をし、異議申し立ての権利を行使することにした。1年間の処分と契約解除をなんとか見直して欲しい」と話した。「手の治療のために薬を2種類飲んでいる。あとはかみたばこ。これらについても検査をお願いしたい」とも言った。


ジェレミー・ゴンザレス

1975年 ベネズエラ マラカイボに生まれる。
1991年、 シカゴ・カブスに入団。
2006年、 ミルウォーキー・ブルワーズにトレードされる
2007年、巨人と契約。しかし、成績振るわずシーズン終了後に戦力外通告を受けた。
2008年5月25日、実家付近であるベネズエラ西部スリア州マラカイボ湖で水上バイクをしていたところ落雷を受け死亡したと地元のスポーツ紙が伝えた。

ジェレミー・ゴンザレス投手が25日、母国ベネズエラで落雷を受けて死亡したことが分かった。33歳だった。複数の米メディアが報じた。大リーグ機構の発表によると、ゴンザレス投手は事故当時海岸にいたという。


偶然はこれだけではなかった。

語呂合わせの好きな日本のことだ。何かがあるのだろうと思った。ひととおり情報を斜め読みした。すぐに、ルイス・ゴンザレスの背番号が目に飛び込んできた。ルイスの背番号は「 49」だった。すぐに思った。ジェレミーは、「94」ではないのか。驚いた、予想通り、「 94」だった。もちろん、「死」と「苦」の組み合わせだ。最近は、日本の語呂合わせの癖が読めるようになった。

しかし、何と腹黒い国なのだろう。いつものことだが、この偶然には、ある団体・個人に対する「脅し」のメッセージが含まれている。調べてみる。

背番号の大量変更

ジャイアンツの 原監督は2006年、選手への「発奮材料」として 実に25人の選手の背番号を変更した。背番号は選手の命であり、背番号をころころ変えることは選手を会社員の人事異動のように扱うことを意味する。もはや、背番号を真剣に覚えようとする子供はいなくなるだろう。何か思惑があったと思わざるを得ない。 ルイス・ゴンザレスは、この時、「5」から「49」に背番号を変えられた

原因は、やはり外務省だった。今回は時間がかかった。

2008年5月23日ブラジルの首都 ブラジリアで「 南米共同体」が設立された。日本のマスコミでは、「 南米諸国連合 ウナスール)」と表記されることが多い。日本にとっては不満が多い。日本の思惑は空中分解した。しかし、これからの南米諸国連合の展開は日本の国際関係にとって致命的とも言えるほど重要だ。背景には、日本が国際政治の舞台裏で進めてきた反米・反中国のキャンペーンがある。日本は南米諸国の首脳に文字通り雷を落とした。

ベネズエラの チャベス大統領にも雷。

今回は、特に期待していたチャベス大統領が、先手を打って 中国との共同原油開発計画を発表したことから、特にベネズエラがターゲットとなった。 日本は中国との間で、東シナ海ガス田問題をめぐって長年にわたり論争を続けている。チャベスの行動は日本への裏切りと見られたのだろう。

ブラジルのルーラ大統領と日本の関係もただ事ではない

<参照>  政治的語呂合わせ(1) (2) (3) (4)  守屋 武昌  三位一体
        政府管理下の日本企業  いい日旅立ち  長野・空き地⇔チャイナ・泣き顔

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  2008/6/2  #123

日本の陰謀 (83-1)

TICADと呼ばれるアフリカ開発会議

2008年5月28日TICAD IV(第四回アフリカ開発会議)が横浜市で開幕した。日本の新聞では、その前後から賛否両論があふれている。いや、故意にかく乱していると言った方が正確だろう。一つずつ検証する。

来日した各国首脳は一体どういう人々だったのか。

日本のマスコミの言う「首脳ら」とは、国家元首なのか、大臣を含むのか、政府高官あるいは、政府職員を含むのかよくわからない。こういった場合、複雑な論理の展開で国民を欺くことが出来る。

ガボンのボンゴ大統領(左)

朝日新聞  JanJanニュース  毎日新聞  読売新聞  ダイヤモンド・オンライン 

日本の報道は、全く理解が出来ない。報道とは事実を公平に簡潔に伝えることと、自らの主張を明確に示すことにある。この点、日本のマスコミはデタラメだ。まず、報道と主張を混同させ、平気で事実をゆがめる。どこまでが事実の報道でどこからが主張なのかわからない。しかも、困ったことに、異なる主張・報道を行いながら、報道業界全体として巧妙に世論を誘導している。こういったトリックは、記事を詳細に分析して初めて気付く。本当に巧妙だ。

ネット上では包括的な情報が得られない。そこで、前回2003年 第3回アフリカ開発会議(TICAD III)の出席者のリストを 外務省の各国来訪者リストを参考に作ってみた。大方今年もこんなものだろうと思う。

大体、アフリカ諸国の首脳がわざわざ日本まで来られたのだから、全ての要人の一覧は報道すべきだ。日本の外国人招待、特に会議やイベントでは、まるで動物園の動物のように外国人を扱う。ほとんどの外国人は、日本に来て駆け足で行事をこなし帰国する。ゆっくり日本を満喫する暇はない。日本政府は、政府の期待通り行動し、余計な事はして欲しくないのだ。会議のボロが出ると困るのだ。来客の尊厳を無視している。

マダガスカル共和国 ラヴァルマナナ大統領・ランジェヴァ外相
スワジランド王国 ムスワティ三世国王  ファノウラキス外務大臣  グドゥザ・ドラミニ経済計画開発大臣  マムバ資源エネルギー大臣
ガボン共和国 ボンゴ大統領
ベナン共和国 ケルク大統領
ジブチ共和国 ゲレ大統領・ファラ外務・国際協力大臣
セネガル共和国 ワッド大統領
ナイジェリア連邦共和国 オバサンジョ大統領
エリトリア国 イサイアス大統領
コンゴ共和国 サス・ンゲソ大統領
モザンビーク共和国 シサノ大統領 シマン外務協力大臣
タンザニア連合共和国 ムカパ大統領 キゴダ大統領府計画・民営化担当国務大臣
ウガンダ共和国 ムセべニ大統領 ブティメ外務(経済協力)担当国務大臣 クテサ投資担当国務大臣兼財務・計画・経済開発大臣
ガーナ共和国 クフォー大統領 アクフォ・アドウ外相他
ブルキナファソ コンパオレ大統領
ザンビア共和国 ムワナワサ大統領
マラウイ共和国 ムルジ大統領
南アフリカ共和国 ムベキ大統領 ズマ外務大臣
カメルーン共和国 ビヤ大統領
マリ共和国 トゥーレ大統領 コナレ・アフリカ連合(AU)委員会委員長(元マリ大統領)
ルワンダ共和国 マクザ首相 ムリガンデ外相
エチオピア連邦民主共和国 メレス首相
ギニア共和国 シディメ首相 ファル外務・協力相 サール農業・畜産相 クヤテ漁業・養殖相
チュニジア共和国 ガンヌーシ首相 ジュイニ開発・国際協力大臣
コートジボワール共和国 バンバ外務大臣
ケニア共和国 ニョンゴ計画・国家開発相
赤道ギニア共和国 オバマ・アスエ農業・畜産・農村開発担当大臣
ブルンジ共和国 シヌングルザ外務協力大臣
コンゴ民主共和国 ムワンバ計画大臣
アンゴラ共和国 アギナルド・ジャイメ経済担当副首相
ボツワナ共和国 ハオラテ大蔵・開発計画大臣
トーゴ共和国 デババ・バレ経済・財政・民営化大臣
ニジェール共和国 ミンダウドゥ外相
アルジェリア民主人民共和国 メサヘル・アフリカ担当大臣
ナミビア共和国 ヌガチゼコ国家計画委員長
セーシェル共和国 ボンレム外相
シエラレオネ共和国 ダラミー開発経済計画大臣
ジンバブエ共和国 ムデンゲ外務大臣、ムレルワ財務経済開発大臣
チャド共和国 ハッサン計画開発協力大臣
レソト王国 タハネ財務開発大臣
サントメ・プリンシペ民主共和国 マリア・デ・ルールデス・サルヴァテラ官房長
モーリタニア・イスラム共和国 モハメッド・ウルド・マーウヤ経済・開発省次官
スーダン共和国 スレイマーン大統領経済顧問
ガンビア共和国 ジャロー経済・財政省貸付債務管理局長
カーボヴェルデ共和国 バルボザ外務・協力・共同体省事務次官
コモロ連合 サイード・アリ・ボイナリ大使
モーリタニア・イスラム共和国 モハメッド・ウルド・マーウヤ経済・開発省次官
モロッコ王国 ブフラル外務事務次官

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  2008/6/4  #124

日本の陰謀 (83-2)

ティカッド (TICAD)という奇妙な造語


ティカッドという言葉は英語でも日本語でも政治・経済用語としては違和感がある。しかも、この造語には隠された重大な「嘘」がある。

日本では「アフリカ開発会議」、海外では「東京国際会議(アフリカ)」

アジアとアフリカの経済会議は、日本のほかにインドと中国が開催する。その名称は極めて常識的だ。

中国アフリカ協力フォーラム  (Forum on China-Africa Cooperation)

インド・アフリカ会議  (Africa - India Forum Summit)

アフリカ開発会議 (Tokyo International Conference on African Development)

日本の会議には、「日本」という言葉がない。日本人は、国連の会議だと思い、アフリカの人々も、アフリカ開発の国際会議がたまたま東京で開かれたと錯覚する。どうしてこのような誤解を招くようないい加減な会議の名称を作ったのだろうか。

そもそも、中国・インドのように「日本・アフリカ経済協力会議」とすべきだ。そうしない理由は、「日本」を表に出さないことにある。何故なら、この会議の実質は、アフリカの開発ではなく、「日本の発展」とそれに対する「アフリカの協力」にある。これは表に出すとまずい。それで、わざわざ名前をはぐらかしたのだ。

日本の狙いははっきりしている。「 日本の国連安保理常任理事国入りの賛成票」「 京都議定書・温暖化問題に日本への支持」「 洞爺湖G8サミットの日本の支持」、これらは、日本にとっては重要なことだが、アフリカ諸国には全くもって迷惑な議題だ。

一国が集団国と会議を設定するには理由がある。一般に国家間の協議は二カ国で行うのが基本だ。しかし、舞台裏では、賄賂・裏切り・秘密の漏洩などの陰謀が起こる。それは既に歴史が証明している。それで、国家間の問題も、その他の国に利害がある場合は、全関係国が一同に会するのが望ましい。それが、国連だ。しかし、インドや中国のように、急激に発展する国は、特にアフリカ諸国との経済交渉が始めてであり、50前後の国と個別に交渉する暇がない。しかも、国連の場では、その他の国々には迷惑だ。それで特別の交渉の場を設けたのだ。だが、日本は、すでにアフリカの大半の国と長い貿易の歴史があり、集団で協議することはない。アフリカ諸国にとって、日本のアフリカ会議は中国やインドとの交渉のかく乱以外の何物でもない。

「ティカッド」で「 シカト」。またもや語呂合わせ。

「ティカッド」は不快な言葉だ。だが、すぐに同様な不快な言葉「シカト」を思い出した。私は、この言葉をネットの迷惑投稿でよく見かける。辞書に該当があるのか、その意味は何かよく知らなかった。ただ、人をバカにする表現に使われることは経験で想像できた。調べて驚いた。警察の隠語だった。官製造語に間違いないだろう。自然発生にしては、あまりにこじつけが過ぎる。しかも、このアフリカ会議にぴったりだ。いやなやつはのけ者にしようと言うわけだ。ティカッドが始まった1993年に「シカト」も広まり始めたのだろう。

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  2008/6/4  #125

日本の陰謀 (83-3)

アフリカと言えば 鈴木宗男

衆議院議員で 新党大地代表の鈴木宗男の16の役職は全てアフリカ諸国の議員連盟会長だ。アフリカは鈴木が仕切っていると言ってもいいほどだ。 オスマン・サンコンやジョン・ムルアカを日本に紹介したのは鈴木宗男だと言われる。今回のアフリカ開発会議でも舞台の表裏で走り回っていた。

オスマン・サンコン

この変な外人タレントは外交問題がなければほとんど忘れかけていた。タレントとしての才能を全く感じない。アフリカ人の中にはもっと面白い人はいくらでもいる。マスコミがサンコンをもてはやすのには政治的理由があるはずだ。私は、以前サンコンに興味を持ったことがある。それは、「 血のダイヤモンド」問題で、 シエラレオネの最悪のゲリラ サンコーの話を聞いたときに、名前が似ていると思った時だ。

アハメド・フォディ・サンコー

このテロリストの名前を始めて聞いたのは、何とダイヤモンドの商取引のテレビ番組だった。それまでダイヤモンドは貴族階級の嗜好品で、テロなどとは全く違う世界の物だと思っていた。その話はショックだった。

この男の周りには リビア カダフィ リベリア チャールズ・テーラーなど、ありとあらゆるゴロツキ政治家が現れる。いや、現れるというより、本人が訪ねていくと言ったほうが当たっている。 シエラレオネは、ギニアとリベリアに囲まれている。オスマン・サンコンはギニアの出身だ。

サンコンはサンコーの影武者で、サンコーを歓待できない日本が、身代わりとして見つけたのがサンコンだった。サンコーは2000年逮捕され、2003年裁判の途中で病死した。この頃からサンコンはマスコミに登場しなくなる。いや登場する意味がなくなったのだ。

ジョン・ムルアカ

ムルアカと言えば2mを超える身長で覚えている人もいるだろう。それ以外、私はよく知らない。だが、 舞台裏ではいろんなことをやっている 麻原彰晃 エボラ出血熱の細菌密輸、事務所での暴力事件など話題にことかかない。

ボビー・オロゴン

ナイジェリア出身のお笑いタレント・格闘家。1995年初来日、2005年からタレント活動を始めた。事務所で暴れムルアカに軽い怪我を負わせた。


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2008/2/1   ##
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