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日本の陰謀(2) 2項


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73  中国とダライ・ラマの主張の比較 2008/4/16
74  ヒトラーと七人の侍 2008/4/20
75  中国聖火リレーに国家ぐるみの嫌がらせ 2008/4/24
76  日本の対中国インチキ報道 2008/4/27
77  列車事故で中朝関係に楔(くさび)を打ち込む 2008/4/28
78  ロシア革命に日本の裏金 2008/5/5
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  2008/4/16  #113

日本の陰謀 (73)

中国とダライ・ラマの主張の比較


中国

今日、たまたまチベットの歴史に関して興味ある内容を記述するサイトを見つけた。

「チャイナネット」と日本語のサイトでは表現されているが、中国で運営されるサイトだと思われる。それで、内容はかなり一方的だと思われるが、私が読む限り、百歩譲ってもダライ・ラマはこの主張を論破できない。特にチベット問題を特集した記事は読み応えがある。原文のまま紹介する。

チベット・ラサのポタラ宮


チャイナ・ネット
2人の外国人専門家 「チベットはシャングリラではない」 (シャングリラ)

数世紀にわたり、チベットは人を魅了し、多くの幻想的な小説や物語にとってインスピレーションの源泉となってきた。地域的に遠いところ、そしてチベット人が信仰する仏教が、異国情調と摩訶不思議な境地を求める西側の想像力を育んできた。しかし、こうした神話が人びとに現実を忘れさせることがあってはならない。ロマンチックな親チベット派は不快に思うかもしれないが、私たちはやはり指摘しなければならない。1949年前のチベットは彼らが言う楽園にはほど遠かった。そこにはただ純朴と善良、満面に笑みを浮かべた生活があり、心落ち着いた生活を送り、人びとは宗教活動に専心していた。この種の論調を宣伝するのは、チベットの現実の別の側面を覆い隠そうとするものに違いない。チベットはこのような地区なのである。そこでは、権力を失うのを恐れるため、寺院はすべての改革を妨害した。貴族階級はその特権を死守するため、様々な陰謀を画策し、互いに暗躍した。さらには、政教一体の執政者は 農奴制度を合法化した。そこでは、農奴は売買され、譲渡され、交換され、「話しをする馬」として働かされ、「人」として扱われなかった。

今日のダライ・ラマ、この「善心のある人物」とか「魅力のある人物」と見られ、そして「 ノーベル平和賞の受賞者」は49年まで一貫してこうした勢力の代理人であった。

ここで1点補足しておく。チベットの寺院及び仏典を伝授する学校は家庭に男の子が2人いる場合、1人を強制的に6000ある寺院に送り込んで僧侶とし、その結果、1951年までチベットでは人口の95%が読み書きすることができなかった。

チベット仏教と中国皇帝との間の関係は12世紀(元代)まで遡る。チベット人はチベットと中国との関係を「宗教指導者とその非宗教保護者」との間の関係と見なした。ダライ・ラマと パンチェン・ラマは皇帝側近の宗教顧問と神職者としての地位を有し、一方、皇帝はラマをさらに一歩進んでチベット全体の保護者と見なした。皇帝は中華帝国のその他のすべての臣民に対するのと同様にラマに物質、軍事面で支援した。明らかに、ダライ・ラマは一貫して皇帝が封じた臣だったのである。

1720年から1910年まで、チベットは満州族の王朝(清朝)に融合した。

19世紀、英国は占領したインドを起点に、一方、ロシアはその中央アジアにおける影響を保持するため、両国は互いにチベットの統治権をめぐり激しく争った。その陰謀がたびたび失敗に帰したことから、英国は1906年(1912年に再度表明)にチベットの宗主権を承認した。

中国において、皇室の大半の建築物で漢語、蒙古語、満州語とチベット語の4種の文字が使用されたことがそのことを証明している。

1950年、日本の占領者が国土から駆逐された後、国家の大部分の領土を解放したばかりの中国人民解放軍がラサに進出し、一連の改革の嵐を巻き起こした。そのなかで最も重要なのが農奴制の廃止であり、多数の農奴を再び「人」に変わらせた。

中央政府と地方政権を当時掌握していた執政者が北京で交渉したが、ダライ・ラマも参与し、多くの項目で双方は合意に至り、寺院とその他の権勢者に極めて大きな自治権が与えられた。

日を追うごとに権力を失っていく高僧や貴族はまず1956年、続いて1959年に反乱を起こす。ダライも自ら、反乱は米中央情報局が資金と武器を提供したものであることを認めている。反乱失敗後、その指導者はインドのダラムサラに逃亡した。

「文化大革命」の期間(1966-1976年)、全国で発生した状況と同様、一部の紅衛兵が寺院や廟宇を破壊し、僧侶や尼僧を迫害した。これが中国の近代史上、最も暗黒な一頁であったことは疑いもない。人びとは80年代からこうした悲劇による痕跡を取り除くため極めて大きな力を尽くしていく。寺院は原状どおり修復され、僧侶も再び宗教の活動場所に戻ることを許された。チベットは観光に向け開放された。経済建設も大々的に進んだ。内陸部とラサが鉄道で結ばれたことで、チベットの外部との隔絶状態に終止符が打たれた。必要な物資も鉄道で運び込まれ、運び出すことができるようになった。チベットに行けば様々な商品が商店に並んでいるのを目にすることができる。平均寿命はこの数年で十数年も伸び、誰もが治療を受けられるようになった。小中高校や大学も数多く建設された。チベットに融け込んだ近代化を実現し、全国の経済と融合させるため、大規模な投資が行われた。

自然保護区の設置や再生可能なエネルギーの応用を通して、とくに自然環境への保護が強調されている。総じて言えば、チベット人の生活が今ほど高い水準になかったことは、すべての経済指標が証明している。

中国のその他の地区と同様、チベットも経済や文化面で解決の待たれる多くの問題に直面している。しかし、国際通貨基金と世界銀行のデータによれば、「中国はこの20年内に3億5000万人の衣食の問題を解決」しており、そのうちチベット人は数百万人に上る。

チベットが世界で最も鋭敏な地区の一つであることを忘れてはならない。チベットはガンジス川やプラマプトラ川、黄河、長江、メコン川などアジアの大河川の源でもある。ウランやアルミナ、銅、リチウムなど鉱物資源の埋蔵量も豊富であり、石油や天然ガスもある。チベットが様々な利益集団の貪り争う対象となれば、それこそ「奇」とはならなくなる。

最近、チベットと一部の国で起きたデモは、明らかにダライ・ラマが策動したものである。関連写真を詳細に見れば、ごく小数者の行為に過ぎないことが分かるであろう。しかし、メディアによる恣意的な宣伝により、この事件は国際世論に混乱を引き起こすと共に、北京五輪を「人質」にすることで地域の安定に脅威をもたらした。これは容認できるものではない。同様に容認できないのは、小数の「達筆家」や「演説家」が再び自らを裁判官、教師として中国を審判し、教訓しようとしたことである。西側の人びと頭の中には、東洋に対する極めて多くの誤解が芽生えつつある。彼らを煽動することになんらのメリットもない。認めなければならないのは、ここから日ましに深刻化する危機の兆しが見て取れること、即ち、無能と情緒排斥の動きである。

「チャイナネット」 2008年4月2日


ダライ・ラマ

私は、チベット臨時政府の反論するサイトを探したが、この臨時政府は自らの歴史を概説するサイトさえ見つからない。ダライ・ラマの生涯に関しての情報も見つからない。

よくあるパターンだが、日本の仕立てる傀儡(かいらい)には、しばしば世話人が付く。洗脳と監視が必要だからだ。 金正日にも不気味な日本人調理師が張り付いている。 ダライ・ラマにもハインリッヒ・ハラーという家庭教師が付いていた。簡単に言うと、この男は、ナチス・ドイツの残党だ。「 ナチスとチベットの妖しい関係」は、ユダヤ人のサイトだと思われるが、その記述は信頼に値する。ナチス・ドイツにも日本の秘密工作員が深く入り込んでいた。第二次世界大戦後旧日本兵がチベットで活動するのは危険が大きすぎる。ここで危険というのは身の危険ではなく、日本の陰謀が発覚する危険だ。それで旧ドイツ兵が選ばれた。オーストリアという出生地も怪しい。結局、 ダライ・ラマはヒトラーの友達の友達だった

驚いたことに、ナチス・ドイツの国旗( ハーケンクロイツ)は、日の丸と 卍(寺)の組み合わせだ。 チベット臨時政府の国旗は日本人が作った。ある人は、 創価学会の三色旗もチベットの旗の三色と同じだと言う。

ダライ・ラマは過去に CIAから資金援助を受けていたと言うが、敵国の情報機関に成りすまし、資金を援助し、政治を誘導することは、秘密工作の常道だ。その組織が暴力集団になればなおさら都合がいい。日本が、CIAに偽装して、ダライ・ラマ集団を作り出したのであれば、これまでの展開は日本にとって最も都合がいい。全ての悪事を米国になすり付ければいいのだ。簡単なトリックだが政治家は簡単に騙される。ダライ・ラマが最近辞任を口にしだしたのは、背後に強大な組織があることを証明する。こういった小さな組織の独裁者が自ら辞任などという言葉を口にすることはあり得ない。それどころか。自らの団体を弱体化させるだけだ。


日本の軍艦旗


ナチス・ドイツの国旗


チベット臨時政府の旗


創価学会の旗
米国政府やCIAはこういった発言に正式に言及していない。こういった怪しい情報を裏を取らずに報道するマスコミも怪しい。ジャーナリストの中にも国家などの団体に買収される者は多い。日本のマスコミを見ればよくわかる。朝日ニュースターの パックイン・ジャーナルの司会者愛川欽也など、ジャーナリスト気取りだが、常に、「私は芸人ですから」が口癖だ。つまり、報道番組それ自体が、演出ドラマの一部なのだ。俳優にとってジャーナリストを演じることなど朝飯前だ( 報道機関の閉鎖性)( 記者クラブ反対派の主張 )。

ダライ・ラマの主張には、統計が少なく、感情的な表現が多い。中国政府に対する要求がはっきりしない。暴徒とダライ・ラマが金銭面・命令系統でどういう関係にあるのかわからない。これは、北アイルランドの IRA パレスチナ自治政府に見られる二枚舌と同じだ。こういった場合、当事者の片方がウソを付いており、基本的な解決はあり得ない。 なかなか適切なサイトが見つからないので、やむなく ダライ・ラマ法王日本代表部事務所のサイトのアピールを原文のまま紹介する。

ダライ・ラマ法王日本代表部事務所からのアピール/日本の皆さまへ

2008年3月19日 ダライ・ラマ法王日本代表部事務所

ご存知の通り、今チベットは重大な危機に直面しています。平和的デモの参加者が、銃や戦車で残虐に弾圧されています。中国当局は、大量のチベット人を逮捕拘束し続けています。今チベット全土は極度の緊張が続いています。

中国当局は事態の沈静化を宣言しましたが、実際は事態はいまだに戒厳令下のような状況です。中国が外国メディアや外国監視団の現地立ち入りを禁止し、状況の把握を許可していないという事実自体がそのことを物語っています。

中国当局は、「ダライ・ラマに扇動されて動乱が起きた」「ダライ・ラマが北京五輪のボイコットを呼びかけている」と繰り返し述べていますが、ダライ・ラマ法王やチベット亡命政府が北京五輪の開催に反対したことは一度もありません。この点は、ここで再度はっきりと申しあげたいと思います。

オリンピックは、地上に生きるすべての人々の平和、自由、調和を象徴しています。我々は、このオリンピック精神が北京五輪で花開き、地球全体が平和に包まれるところをこの目で見たいと願っています。しかし、それを実現するには、一人一人がオリンピック精神にのっとって行動しなくてはなりません。

ラサをはじめとする各地で行なわれたデモ行動は、北京五輪とはほとんど関係がありません。これは、長年抑圧されてきたチベット人全員の中に鬱積していた憤りや不満が一気に噴出して起きたものです。チベット人は、中国による植民地統治のもとで、現在に至るまで想像を絶する苦しみを強いられてきました。いくら中国側が、「チベットは発展し、チベット人は幸せになった」と述べ立てたところで、今回の事件は、中国の統治下におかれたチベット人は、まったく幸福ではない、というチベット人の明確なメッセージなのです。

我々は、チベットの状況を深く憂慮しています。我々はこれまでも中国当局に対し、武力による解決を慎み、我々チベット亡命政府と話し合いによって双方の相違点を解決するよう要請してまいりました。

我々は、国連や各国政府が事態の調停に乗り出すよう要望しております。

私は苦しむチベット人全員を代表し、日本の皆様に手を合わせてお願いしたいと思います。どうか、中国当局が我々の誠実な気持ちを理解できるよう、また、現在のチベットの状況に国際的な基準とオリンピック精神にのっとって対応できるよう、日本の皆様のお力をお貸しください。

皆さまのご理解とご支援に、心より感謝いたします。

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  2008/4/20  #114

日本の陰謀 (74)

ヒトラーと七人の侍


ヒトラーは日本の作った怪物だった

荒唐無稽と思われるかもしれないが、 ナチスと日本の関係には謎が多い。私は、長い間いくつかの疑問を解決できずにいたが、ようやくそれらが一本の糸で繋がった。

1.ナチスの事件と日本の事件に日付の一致が見られる。
2.ナチス・ドイツの政策・戦術は全て日本に都合がよかった。
3.国旗が日の丸と仏教のシンボル、「卍」の組み合わせだ。
4.人間社会の真実は極限状態において真実が暴露される。ヒトラーは、
  その最後まで、日本人工作員の監視下にあった。
5.日本は、ナチス崩壊後もその残党のネットワークを維持した。

事は多岐に渡るが、ここではヒトラーの最後に的を絞って述べる。

ヒトラーと 青木盛久元駐ペルー大使

私は、ある男の話でヒトラーと日本の関係に目覚めた。それは数年前、テレビのインタビュー番組で、元駐ペルー大使青木盛久氏がナチス崩壊についての思い出話を得意げに話した時だった。

とにかくただ事ではないと思った。会話は、ナチスがテーマではなかった。テーマは、外国為替相場と機軸通貨だった。記憶に基づいて述べる。

青木:

「戦争になると通貨の力がはっきりわかります。私は、ドイツが崩壊する時たまたまドイツにいましたが、結構多くの日本人が最後までベルリンに残っていました。敵の戦車が向かって来る道を車で突破することになりました。手元にある現金を全て車に詰め込んでベルリンを離れました。この札束は一体何だったと思いますか。円でもマルクでもありませんでした。こともあろうに敵国通貨のドル紙幣だったのですよ。戦争でも基軸通貨の強さは明らかなのです。」

この時、私はウィキペディアを知らなかった。検索で情報を手に入れる習慣もなかった。それで、単に個人的な想像で考えをめぐらした。駐ペルー大使を務め、大使館人質事件を乗り切るなど、普通の任務ではないだろう。当然、政府中枢に近い家柄の出身だろうと思った。しかも、この人に関しては、この事件の終盤に見せた、異常な行動が脳裏に焼きついていた。

1997年4月22日、ペルーの軍・警察の特殊部隊が大使館公邸に突入、テロリストは全員殺された。この直後、椅子に乗って現れた青木大使は、驚いたことに、橋本首相の写真の額縁を高々と掲げた。瞬間、私はインチキだと悟った。

青木氏の父青木盛夫氏は戦前トルコ大使館の二等書記官を勤めた。日本のトルコ大使館は枢軸国の中東の要だった。アンカラ大王と呼ばれた。その後 在ジュネーヴ国際機関日本政府代表特命全権大使や、駐南ベトナム特命全権大使 アルゼンチン大使等を務めた。両国とも英米を相手に戦争を引き起こした国だ。青木盛久氏はペルーの事件のあと1998年7月ケニア大使に任命された。すでにアフリカでは新たな日本の陰謀が渦巻いていた。 その翌月、ケニアとタンザニアでアメリカ大使館同時爆破事件が起こる。そのテロ実行の早さに驚いた。米国は、一貫して フジモリ大統領を非難していた。日本のマスコミに洗脳されていた私はうかつにもこの男を尊敬し、米国の批判がよく理解できなかった。こういった経験が日本を信じられない一因になったことは間違いない。「 江戸の敵を長崎で討つ。」という日本の伝統が脈々と生きている。同時テロは日本の得意技で、国内でもオウム真理教などのインチキ犯罪で演出される。犯行動機のカムフラージュだ。

こういった経緯や本人の話しぶりから、私は青木氏が幼少の時ベルリンで、ヒトラーと面識があったと信じる。ちなみに、この事件を起こしたゲリラ、 トゥパク・アマル革命運動の旗は、またもや紅白の組み合わせだ。いい加減にして欲しい。


日の丸


ナチス・ドイツの国旗


トゥパク・アマル
革命運動の旗

ヒトラーの最後と7名の切腹したチベット兵

日本は 傀儡要人(最近は チルドレンと呼ぶ)には必ず監視役をつける。また、影武者(からかい目的)までも用意する。 ヒトラーの場合、7名の監視役が最後までいたようだ。いた、と言うより、ヒトラーの死を見届けて自殺したと考えられる

金正日 ヒトラーの事例

日本人の工作員の中には、チベット人に扮する者が今日でもいる。オウムの 麻原彰晃はその典型だ。チベット人というわけではない。モンゴル系なら何でもいいのだ。だが、万一逮捕された時、日本人という素性がばれてはならない。中国人や韓国人では言語ですぐに素性がばれる。チベット人といって下手な英語で通せば、それで終わる。日本の工作員にとってチベット人は貴重な隠れ蓑だ。

ベルリンでも多くのチベット兵を連れて行き、その中に紛れて日本の工作員が活動したと見ていい。ここで、青木氏の話と辻褄(つじつま)が合ってくる。

チャーリー・チャップリンは日本の作ったヒトラーの怪物影武者だった。チャップリンは、ヒトラーの誕生日に近い男(4日違い)として日本政府に着目された。有名になったのは、映画の興行収入のマネーロンダリングとして使われたからに過ぎない。チャップリンはヒトラーにこだわり、周りに多くの日本人がいた。 反ナチスという情報は、日本の得意な二枚舌プロパガンダだ

話は果てしなく続く

チベットの兵士七名は日本兵の変装だと確信する。まず、チベットには 切腹の風習はない。 中国では切腹の意味が異なる。そして、やはり、日本は、この七人にこだわった。「美しい国日本」で英雄とせねばならない。しかし、直接言及できない。またもや得意のほのめかしで世界に訴えた。これが、「 七人の侍」だった。その筋書き、 黒澤明のコメントからそれが第二次世界大戦 枢軸国を意識した映画であることは明らかだ。

日本の映画、音楽、文学で海外の評価の高いものは怪しいものが多い。 川端康成の「雪国」 北野武 「HANAーBI」など 私には無価値だ。海外の評論家を買収することなど政府の資金力を考えれば朝飯前だ。世界的には国内で無名だが海外で高い評価を受ける芸術がある。それは、ほとんど反政府的思想が強い。ところが、日本では、全て政治家と一体の俗物だ。これは日本の二枚舌のお手本のような事例だ。

そして七人の侍は 竹下派七奉行へと続く。この「七」という数字は当時から気になっていた。こじつけということはわかっていたが、ようやくその意味がわかった。

「卍」の復活

ナチス・ドイツが崩壊して2年後の1947年、早くも日本でナチスのマークが復活した。それは 少林寺拳法だった。これは、偶然「卍」のマークだったというより、ナチス存続のため、日本において武道の一種として復活させたものだ。目的は、子供たちにナチスの精神を普及させることだった。豊富な政府の資金によるプロパガンダで世界にも広まったようだ。最近このシンボルマークに対する批判からマークを変更しているが、卍のイメージは消えない。シンボルマークを変えても、精神が間違っていれば何の意味もない。

少林寺拳法 少林拳

はっきり言って、少林寺拳法には日本の国家的陰謀が渦巻いている。 少林寺拳法の創始者 宗道臣は中国大陸における日本陸軍の 特務工作員だった。 そして、 義和団事件の生き残りの中国拳法の達人陳良老師から少林拳を学んだ。義和団事件は日本の陰謀だった。その事件の名前がよく示す。

少林拳は中国河南省嵩山に伝わる武術。その歴史は古く、各派の武術に大きな影響を与えたことから「天下の武術少林より出ず」と謳われている。少林拳は日本ではしばしば「少林寺拳法」と呼ばれる。しかし、両者は全く異なる。

結局、日本は中国の伝統武芸の名称を混乱させ、そのイメージをナチスに結びつけた。今日でもネット上で中国政府をナチスと呼んで侮辱する日本人は多い。ナチスは日本そのものだ。 ある漫画家など、未だに「 ショーリンケン、コンフー、つまりカラテ!」などと、中国の少林拳を空手と結びつけ、子供たちを惑わそうとする。

ナチスの旗
少林寺拳法
1947年シンボル

少林寺拳法
2005年シンボル

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  2008/4/24  #115

日本の陰謀 (75)

中国聖火リレーに国家ぐるみの嫌がらせ


聖火リレーは刑務所跡地と火葬場跡地

刑務所や火葬場の記憶は住民の記憶からなかなか消えない。私の地域でも刑務所が移転し別の建物が建設されたが、未だに刑務所跡地と言う人が多い。

善光寺が18日聖火の出発式会場を辞退したことから、 実行委員はコースの選考を行ったが、決まった出発式会場は、何と刑務所跡地だった。しかも、聖火ランナーの走るコースは、目的地は隣保館の隣、経由地は火葬場跡地、さらに至近距離には検察庁・裁判所・長野県警に東京入国管理局という最も人々が近づきたくない場所が選ばれた。

長野県勤労者福祉センター

1959年6月13日 長野刑務所跡に合同庁舎の建設が決まる。
1966年5月23日 刑務所跡に行政・裁判合同庁舎が完成し、先にできた法務庁舎を中心に一大官庁団地が出現する。

隣保館とは、・・・・・地域の人達の生活の改善向上を図るとともに、人権同和問題のすみやかな解決を目的とするものです。 




言葉遊びで中国をバカにする日本

しかも、長野選定にあたっては巧妙な陰謀が仕組まれていた。「長野、空き地」が、「中国、泣き顔」になるというのだ。最初は何のことかわかりにくいが、ローマ字にするとよくわかる。

NAGANO AKICHI  ⇔  CHINA NAKIGAO
長野 空き地  ⇔  チャイナ 泣き顔

となるのだそうだ。この言葉遊びは「 アナグラム」と呼ばれる。本当に腹黒い国だ。こういった国の国民であることが恥ずかしい。

つまり、真相は順番が逆で、この言葉遊びをコンピューターで処理させ、NAGANOが選ばれた。最初から刑務所跡地では見え見えなので、善光寺を使ってカムフラージュした。話は最初から出来上がっていたのだ。しかも、しかるべき土地の準備までしていた。

日本から逃げ出す 福田首相

いつものことだが、歓迎されない外国人が来ると首相は用もないのに外国を訪れる。そして、嫌な事が終わるとすぐに戻ってくる。今回は、 聖火リレーの前日日本を立ち、聖火リレーの翌日帰日する

最年長聖火ランナーは元13歳の 関東軍兵士

公募の最年長聖火ランナー 山岸重治氏(76)は、 第二次大戦中、日本陸軍「少年兵」だった。今回の新聞記事がなければ、日本陸軍に13才の少年兵がいたことなど全く知らなかった。まるで、中東のゲリラ並だ。いや、中東のゲリラたちが旧日本軍を模倣しているのかも知れない。驚いた。

星野仙一 三菱航空機製作所工場長の息子

北京オリンピックの聖火ランナー第一走者に星野仙一が選ばれたのは、父親の功績による。三菱航空機製作所では、戦時中、中国人・朝鮮人が強制労働に駆り出された。中国に対する明確な「嫌味」のメッセージだ。

「水島の朝鮮部落」、それは倉敷駅と水島コンビナートの中ほどに位置している。緑町・春日町の一帯に住む200世帯前後の部落をさす。日本の敗戦もおしせまった1944年、三菱重工水島航空機製作所のあった倉敷市水島には、2000人にのぼる朝鮮人が連行されて、地下工場を造るために防空壕作りを強制されていた。今は朝鮮部落になっている緑町・春日町には、同時に、工場労働者のための社宅が建設されていた。敗戦とともに地下工場建設も中断され、出来上がっていた社宅は行き場のない朝鮮人が占領する。やがてただちに帰国することを取りやめた人たちが、舞鶴や下関から空いた"住宅"があるのを知って、親戚、知人を頼って集まってきたのだ。最盛期には2500人以上の朝鮮人が共同の生活の場を作った。共同の密造酒工場があり、自留地というべき菜園を市から獲得した。さらに、全ての朝鮮人を生活保護世帯として認定させ、一括してお金、物品を市から受けて、朝鮮人は更に自主的に再配分した。とはいっても日常的な働き口が見つからない大人たちは、酒づくりやブタ飼いなどで綱渡りの生活をしながらも、視点は本国に向いていた。1959年12月に北朝鮮への帰国が始まると、1000人近くの人が帰っていった。

日本は91、92年、日本へ来た約10万八千人分の名簿を韓国の求めに応じて提出 国際労働機関(ILO)は99年、日本に対し、被害者個人に対策をとるよう求めている。

萩本欽一 チャップリン(ヒットラーの影武者)と面会後人気急上昇

萩本は1971年1月にフジテレビの番組企画で、当時スイスに隠棲していたチャップリンに面会している。これはその頃萩本が「尊敬するコメディアン」としてチャップリンの名を挙げていたことから始まったものであった。実のところ、萩本は「世界で一番有名な人だから」という程度の意識で彼の名を出していたに過ぎず、このときはチャップリン映画も2本しか見たことがなかったという。

その他

参考に外国の聖火リレーコースを一部紹介する。

ロンドン:ウェンブリー・スタジアム(今年3月10日に竣工したイングランドのサッカーの聖地)
パリ:エッフェル塔
サンフランシスコ:フィッシャーマンズワーフ
デリー:大統領官邸
バンコク:チャイナタウン
長野:空き地(刑務所跡地)

日本・チベット同盟によるプロパガンダ  YouTube

関連サイト

中国とダライ・ラマの主張の比較
「私が悪魔に見えますか。」:ダライ・ラマ
オリンピックメダルの買収を中止せよ
ヒトラーと七人の侍

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  2008/4/27  #116

日本の陰謀 (76)

日本の対中国インチキ報道


高村外相の意図的発言

聖火リレーが無事終わった。翌朝の政治家、評論家の発言に注目した。やはり、巧妙なトリックが用意された。とても個人レベルで企てられるトリックではない。専門スタッフが準備した台詞を読んでいるのだ。だが、よく間違わずに話せるものだと関心する。最近政治家や評論家の顔つきが険しい理由がよくわかる。普通の会話での言い間違いはさほど見苦しくないが、トリックを言い間違えると、ばれた場合の対応が出来ない。相当な緊張状態で話しているのだろう。

北京五輪の成功を願い、乾杯する日中両国
の関係者ら=26日午後、朝日新聞


早朝のテレビ番組で、高村外相は、6人が逮捕されたが、全員中国支援活動家だったと示唆した。ところが、昼のニュース番組では、中国人は1人もいなかったと言った。巧妙な言い回しだと感心した。ひとりでこのような発言のコントロールは出来ない。些細なことだが、各ニュースを整理してみる。

インターネットニュース

毎日新聞   朝日新聞   読売新聞   デイリースポーツ   毎日新聞クローズアップ  

上記新聞の内容をまとめてみたが、本当に時間がかかる。何故か考えてみた。情報が前後に散りばめられているのだ。一覧表を文章にした形で記事が書かれていれば順に読んでいけばいいのだが、1人のことが記事の中で、途切れ途切れに分解されて述べられている。まるで、紳士服売り場でネクタイ、背広、ワイシャツ、靴下などが別々の階で売られる百貨店で買い物をするようなものだ。こういった表現には当然目的がある。情報を公平に伝えているふりをして、誤解や異なった印象を読者に与えようとしている。最近のテレビ・新聞が面白くないのはここにも一因がある。だが、こういった手の込んだ情報操作は、詳細に分析しない限り見抜けない。

愛知県津島市 自営業者(63) 暴行容疑で現行犯逮捕・釈放 警官にトマトを投げる
台湾籍 建設作業員タシ・ツーリン(42) 威力業務妨害容疑で現行犯逮捕・長野地検に送検 妨害行為
東京都中野区 会社員(38) 威力業務妨害容疑で現行犯逮捕・釈放 妨害行為
横浜市西区平沼 政治結社構成員中村宏樹(33) 暴行と道交法違反の容疑・長野地検に送検 火がついていない発炎筒を投げ付ける
川崎市多摩区 会社員(30) 威力業務妨害容疑で現行犯逮捕・釈放 車道に飛び出す
世田谷区成城 無職関晋作(25) 威力業務妨害容疑で現行犯逮捕・長野地検に送検 妨害行為

中国・チベット人4名 ----            . 負傷               . 応援・抗議    .

高村外相は嘘をついている

1. 逮捕された者は中国支援活動家か

逮捕された者は全て中国支援活動家だというが、逮捕されたチベット活動家が、チベット支援だと言うはずがない。これまでの経緯で、報道を考えると、中国の活動家と嘘をついたほうが得策だ。日本の警察もそこは心得ている。

警察:「お前はチベット活動家か?」
 男:「いや。」
警察:「中国支援者なのだな。」
 男:「・・・。」
警察:「中国支援者1人逮捕!!」

2. 中国人の逮捕者はいたのか

昼のニュースで、「中国人の逮捕者はいなかった。」と高村外相は言う。だが不思議なことに、政府の発表の言葉に「チベット人活動家」に関する公式発表がない。常に、逮捕者は中国人であるか否か、逮捕者は中国支援者かどうか、負傷者は中国人かどうか。だけが発表される。これは、日本の政府・マスコミの得意技だ。わかりやすい事例を示す。

(例1)この高校は進学校です。生徒の中には暴力団や暴走族はいないそうです。殺人事件はないそうです。

(例2)この高校は進学校です。昨年は東大と京大の現役合格の生徒はいなかったそうです。

実は、この高校はごく普通の進学校だが、言葉の選び方でここまでイメージが変わる。これは事実上嘘をついていると言える。公的立場の人間、組織にはそれだけの責任がある。

3. 台湾人と思われた男はチベット人だった。

私は、このサイトを書き終わって英文に翻訳を始めた。ところが、英文の海外ニュースの報道内容は大きく異なった。

海外の報道を受けて、 日本のマスコミもネット上でしぶしぶ報道した。だが、内容は言葉足らずで、的外れだ。それで、 バンコク・ポストの一部を要約する。

(1)台湾政府は、4月26日長野の聖火リレー妨害で逮捕された台湾国籍のチベット人に法的な支援を行うと発表した。

(2)48時間の拘束の間に、台湾は政府の代表を面会に差し向ける。

(3)台湾政府は日本の警察当局と協議を行っている。

(4)タシ・ツーリンはチベットの難民で、1980年インドから台湾に来て台湾国籍を取得した。

(5)同容疑者は台北で古物商を営み、チベット亡命政府青年団の台湾支部長となった。長野の聖火リレーで聖火を奪おうとして取り押さえられた。

(6)聖火リレーに先立って、台湾在住のチベット人たちは、聖火リレー妨害のため世界中に散らばった。

4. 台湾のチベット人組織人は、 陳水扁 民進党の親日・独立キャンペーンと密接な関係がある。バックに日本がいることは間違いない。

5. では問題はどこにあるのか。

最近の政府・マスコミのインチキの常套手段なのだが、「本人が言いました。」「犯人が言いました。」と平気で報道することだ。これは、報道ではない。関係者が真実を話すのなら、それはニュースではない。ニュースは、事件の背後に「嘘」があるからニュースなのだ。大体、人間に争いが起こる時、必ずどちらかが嘘をついている。人々は、真実を知りたい。嘘を見抜きたいのだ。そこに、司法権力をゆだねた政府と、報道権力をゆだねたマスコミが存在する。だが、日本では、両者が、「ままごと遊び」をしている。ほとんど低開発国の水準だ。

逮捕者が何と言おうと、警察は独自の捜査で裏を取り、独自の責任で発表すべきだ。マスコミもしかりだ。警察の発表を鵜呑みにするようでは、マスコミはいらない。それなら、「長野県警報道局」と言ったほうがいい。

6. 福田首相訪ロの真の目的

聖火リレー終了後のレセプションが東京で開かれた。 福田首相夫人は参加したが、福田首相の姿はなかった。首相はどうしても参加するわけにはいかなかった。ダライ・ラマを裏切ることになるからだ。ダライ・ラマを怒らせると日本の戦略は狂ってしまう。

中国とダライ・ラマ オリンピックメダル ヒトラーと七人の侍

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  2008/4/28  #117

日本の陰謀 (77)

列車事故で中朝関係に楔(くさび)を打ち込む


日本は北朝鮮の勝手が許せない

私は日本の陰謀に追いつかない。次から次に起こす。本当にいい加減にして欲しい。いや、個人的な事を言っている場合ではない。多くの犠牲者が出ている。

中国山東省淄博(しはく、Zibo)市で、28日午前4時40分(日本時間同5時40分)ごろ、 北京から 山東省青島に向かう列車が脱線し、同省 煙台から 江蘇省徐州に向かっていた 列車と正面衝突する事故が発生した。事故について、 新華社通信は鉄道関係者の初歩的調査として、43人が死亡、重傷51人を含む247人が負傷したと伝えた。また、 中国中央テレビは死者が66人にのぼると伝えた。

その時刻、北京五輪の聖火が平壌に到着した。

北京五輪の聖火は28日未明、まさに上記鉄道事故のあった時刻、ソウルから平壌に到着した。午前10時すぎにリレーが始まった。五輪聖火が北朝鮮に入るのは初めてのことだ。北朝鮮当局は中朝友好を強調するため市民を大規模動員し、国を挙げての歓迎ムードを演出した。

市内の主体(チュチェ)思想塔広場で行われた出発式には金永南最高人民会議常任委員長が出席。第1ランナーの朴斗翼氏は北朝鮮の国民的英雄。

中朝の国旗や花を手に、聖火を迎える沿道の市民は数十万人に上る見通し。北朝鮮当局者は「聖火は花の海を泳いでいく」と語っている。

今回の鉄道事故は日本の陰謀だ

1. 北朝鮮は、第二次世界大戦以降、日本の朝鮮半島支配(奪還)の橋頭堡だった。日本政府は今でもそう思っている。日本は北朝鮮が世界から孤立していることを利用して、米国から得た「核」技術、「弾道ミサイル」技術などを北朝鮮に売り込み、同時に世界に拡散させた。これは、英米をうまく欺き、表面上は成功した。インド、パキスタン、イランなどへは核を拡散させた。日本は、自国の核武装の理論的根拠を着々と築き上げた。

2. ところが、思わぬところに敵が現れた。それは中国だった。 文化大革命を経て、中国は変わった。 1970年のよど号ハイジャック事件は、金日成との首脳会談のため平壌を訪れようとした周恩来首相を妨害するのが目的だった。もちろん、日本赤軍は日本の特務機関員だった。周恩来首相は平壌訪問を延期した。中国・北朝鮮共同声明には日本軍国主義復活の非難が盛り込まれた

3. 日本のかかわる海外でのテロ事件は数知れない。 最近の中国関連のテロ事件でもこれだけ見つかる

アメリカ同時多発テロ事件  インド航空機の空中爆発事件
岡本 武  岡本 公三   重信 房子 

ほかにも数多くの事例がある。このサイトの索引で調べて欲しい。

4. 日本は、聖火リレーを 長野で行ったが、 同盟のダライ・ラマに対しては十分納得いく処理をした。ところが、北朝鮮は、日中の両国を手玉に取り、完全に中国の聖火を歓迎する体制だ。日本はこれが許せない。実際、列車を脱線させたのがどのグループかはわからないだろう。しかし、状況証拠は十分だ。

5. 過去にも酷似する事例があった。

2004年4月、金正日総書記が核問題で胡錦涛国家主席を訪ね、列車で平壌に帰国した時、中朝国境近くの駅をその列車が通過した直後、可燃物を積んだ列車同士が衝突し大爆発が起こった。数千個の家屋が倒壊、50人以上が死亡、1200人以上が負傷した





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6. 四川大地震は日本の陰謀だ。例によって日付でほのめかす。今回は中国人にめでたい「8」を使った。8月8日の北京オリンピック開会式の88日前の5月12日地震を起こした人工地震)。あまりの成功に有頂天の日本フランスは、どうでもいい開会式の参加にいつまでもこだわり続けた(2008.7.12追記)。

7. こういった手法を諜報活動用語では、 離間工作という。公安調査庁は得意になって説明する ウィキペディア)。

8. 日本社会の特徴をよく表す

中国の胡錦涛国家主席の来日を控えて、よくもこのような大胆なテロが実行できると驚く人も多いだろう。だが、そこが外交交渉の狙いどころだ。

日本では、しばしば暴力団を配下に持つ企業の社長が、暴力団を使ってライバル企業に嫌がらせを行い、窮地に立ったその社長に、「大分お困りのようですな。何か困ったことがあれば相談に乗りますよ。」などと、うそぶいて、半分脅し、半分冗談といった態度を取る。これに対し、真顔で、「あなたは暴力団と組んでいるのだろう。」などと反論すると、待っていましたとばかりに、「皆さーん、この社長は自分の不行き届きは棚に上げて、何でも私のせいにするのですよ。困ったものだ。」と誹謗中傷する。このあたりの手順は、マニュアルに沿ったものだ。マニュアルとは、この100年以上の悪事の成功事例を集大成したものだ。情けない。

中国政府は、このことを心得てか、慎重な対応を図る。しかし、 原因のいかんにかかわらず2人の責任者を更迭した

9. いつもの決まり文句で締めくくる

外国で事故があり、日本の関与が疑われる時、必ず日本国内だけの報道で言われる事柄が二つある。

(1)死傷者に日本人はいない。
(2)テロの可能性はない。

今回も 日本の報道は口をそろえて上の二点を繰り返すが、海外の報道とは大きく異なる。それどころか、どうしてどうでもいいような事項を強調せねばならないのか疑問が残る。日本がテロを実行(指示)したとすれば、この異様な報道の説明がきっちりつく。

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  2008/5/5 #118

日本の陰謀 (78)

ロシア革命に日本の 裏金


ロシア革命に日本が関わっていたことなど考えたこともない人が多いと思う。だが、これは事実だ。事の発端は 日露戦争だった。

明石機関

日露戦争中、スウェーデン駐在武官の 明石元二郎大佐は「 明石機関」を設置し、ロシア国内の反体制派への支援等の活動を行った。 シベリア出兵に際して、1919年に現地に設置された情報収集・謀略工作を担当する機関は、「特務機関」と名付けられ、この名称が一般化した。

日露戦争中の1904年、 前首相山県有朋は当時大佐であった明石に対して100万円を手渡し、ロシア革命支援工作を画策した。当時の国家予算は6億8千万円であり、現在の国家予算261兆円( 一般会計83兆円+特別会計178兆円)に比較すると、今日の価値では3800億円になる。とてつもない額だ。

平成20年度現在、国には21の特別会計がある。平成20年度当初予算においては、 特別会計の歳出額は約368兆円となっている。これは単純に各会計を足した総額であり、他の会計との重複を除いた 純計額は約178兆円である

日露戦争の日本軍一師団

ロシア防護巡洋艦

赤の広場の革命軍

1904年、明石は レーニン ジュネーブの自宅でレーニンと会談し、レーニンが率いる社会主義運動に日本政府が資金援助することを申し出た。レーニンは、当初これは祖国を裏切る行為であるといって拒否したが、明石は「 タタール人の君がタタールを支配しているロシア人の大首長である ロマノフを倒すのに日本の力を借りたからといって何が裏切りなのだ」といって説き伏せ、レーニンをロシアに送り込むことに成功する。さらに、コンニ・シリヤクス率いるフィンランド革命党などのロシアの侵略を受けていた国の反乱分子などを糾合し、ロシア国内の革命政党である エスエル(社会革命党)を率いる エヴノ・アゼフなどに資金援助するなどして、ロシア国内の反戦、反政府運動の火に油を注ぎ、ロシアの対日戦争継続の意図を挫折させようとした。

1905年の第一次ロシア革命で、アゼフは反乱に使う武器密輸を組織するが、この計画の背後には、明石大佐がいたとされる。なお、明石が陸軍参謀本部に提出した復命書には、アゼフに対して4万円(現在の約3億円)の運動資金を与えたと報告している。

明石の行った工作は、例えば、 内務大臣プレーヴェの暗殺 血の日曜日事件 戦艦ポチョムキン号の叛乱等である。これらの明石の工作が、後のロシア革命の成功へと繋がっていく。後にレーニンは次のように語っている。「日本の明石大佐には本当に感謝している。感謝状を出したいほどである。」と。

1904年7月28日、 内務大臣プレーヴェはサンクト・ペテルブルクでエスエルのエゴール・サゾーノフに暗殺された。(その為の内部工作は明石がした)。

満州軍においては、欧州の明石工作をロシア将兵に檄文等で知らせて戦意を喪失させようと計ったり、また欧州情勢を受けてロシア軍の後方攪乱活動を盛んに行ったりした( 満州義軍)。この結果、 バルチック艦隊 日本海海戦で失ったロシアは戦意を喪失し日本に 講和を申し出て来た。

このように、明石は日露戦争中全般にわたり、ロシア国内の政情不安を画策してロシアの継戦を困難にし、日本の勝利に貢献した。 陸軍参謀本部参謀次長 長岡外史は、「明石の活躍は陸軍10個師団に相当する」と評した。また、 ドイツ皇帝ヴィルヘルム2世は、「明石元二郎一人で、満州の日本軍20万人に匹敵する戦果を上げている。」といって称えた。

山本 実彦

山本実彦は、スパイという点では明石ほど華々しい成果は上げていない。だが、東京毎日新聞を買収したり、出版社改造社を起こしたり、国内でも情報操作に大きく関わった。戦後は衆議院議長にも就任している。山本もまた、明石の活動した頃、 ウラジオストックで日立製作所の創始者 久原房之助から6万円(現在の6億円相当)の金を得て、出版や政治に波乱万丈の人生を送ったことが記録に残っている。 これも氷山の一角だろう。

日立製作所は現在、日本企業として唯一コングロマリット(複合企業体)に分類されている(米国誌『フォーブス』)。また、 シーメンス サムスンに次ぐ世界3位の電機メーカーである。

山口百恵の『 いい日旅立ち』は、スポンサー日本旅行と日立製作所の両社の名前から取ったものだ。日本人は語呂合わせが好きだ。日立製作所は山口県下松市で、JRや私鉄向けの鉄道車両の生産を行っている。「山口」は山口県のことかもしれない。

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2008/2/1   ##
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