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ヒトラーは日本の作った怪物だった
荒唐無稽と思われるかもしれないが、
ナチスと日本の関係には謎が多い。私は、長い間いくつかの疑問を解決できずにいたが、ようやくそれらが一本の糸で繋がった。
1.ナチスの事件と日本の事件に日付の一致が見られる。
2.ナチス・ドイツの政策・戦術は全て日本に都合がよかった。
3.国旗が日の丸と仏教のシンボル、「卍」の組み合わせだ。
4.人間社会の真実は極限状態において真実が暴露される。ヒトラーは、
その最後まで、日本人工作員の監視下にあった。
5.日本は、ナチス崩壊後もその残党のネットワークを維持した。
事は多岐に渡るが、ここではヒトラーの最後に的を絞って述べる。
■ ヒトラーと
青木盛久元駐ペルー大使
私は、ある男の話でヒトラーと日本の関係に目覚めた。それは数年前、テレビのインタビュー番組で、元駐ペルー大使青木盛久氏がナチス崩壊についての思い出話を得意げに話した時だった。
とにかくただ事ではないと思った。会話は、ナチスがテーマではなかった。テーマは、外国為替相場と機軸通貨だった。記憶に基づいて述べる。
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青木:
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「戦争になると通貨の力がはっきりわかります。私は、ドイツが崩壊する時たまたまドイツにいましたが、結構多くの日本人が最後までベルリンに残っていました。敵の戦車が向かって来る道を車で突破することになりました。手元にある現金を全て車に詰め込んでベルリンを離れました。この札束は一体何だったと思いますか。円でもマルクでもありませんでした。こともあろうに敵国通貨のドル紙幣だったのですよ。戦争でも基軸通貨の強さは明らかなのです。」
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この時、私はウィキペディアを知らなかった。検索で情報を手に入れる習慣もなかった。それで、単に個人的な想像で考えをめぐらした。駐ペルー大使を務め、大使館人質事件を乗り切るなど、普通の任務ではないだろう。当然、政府中枢に近い家柄の出身だろうと思った。しかも、この人に関しては、この事件の終盤に見せた、異常な行動が脳裏に焼きついていた。
1997年4月22日、ペルーの軍・警察の特殊部隊が大使館公邸に突入、テロリストは全員殺された。この直後、椅子に乗って現れた青木大使は、驚いたことに、橋本首相の写真の額縁を高々と掲げた。瞬間、私はインチキだと悟った。
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ヒトラーの最後と7名の切腹したチベット兵
日本は
傀儡要人(最近は
チルドレンと呼ぶ)には必ず監視役をつける。また、影武者(からかい目的)までも用意する。
ヒトラーの場合、7名の監視役が最後までいたようだ。いた、と言うより、ヒトラーの死を見届けて自殺したと考えられる。
金正日と
ヒトラーの事例
日本人の工作員の中には、チベット人に扮する者が今日でもいる。オウムの
麻原彰晃はその典型だ。チベット人というわけではない。モンゴル系なら何でもいいのだ。だが、万一逮捕された時、日本人という素性がばれてはならない。中国人や韓国人では言語ですぐに素性がばれる。チベット人といって下手な英語で通せば、それで終わる。日本の工作員にとってチベット人は貴重な隠れ蓑だ。
ベルリンでも多くのチベット兵を連れて行き、その中に紛れて日本の工作員が活動したと見ていい。ここで、青木氏の話と辻褄(つじつま)が合ってくる。
チャールズ・チャップリンは日本の作ったヒトラーの怪物影武者だった。チャップリンは、ヒトラーの誕生日に近い男(4日違い)として日本政府に着目された。有名になったのは、映画の興行収入のマネーロンダリングとして使われたからに過ぎない。チャップリンはヒトラーにこだわり、周りに多くの日本人がいた。
反ナチスという情報は、日本の得意な二枚舌プロパガンダだ。
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話は果てしなく続く
チベットの兵士七名は日本兵の変装だと確信する。まず、チベットには
切腹の風習はない。
中国では切腹の意味が異なる。そして、やはり、日本は、この七人にこだわった。「美しい国日本」で英雄とせねばならない。しかし、直接言及できない。またもや得意のほのめかしで世界に訴えた。これが、「七人の侍」だった。その筋書き、
黒澤明のコメントからそれが第二次世界大戦
枢軸国を意識した映画であることは明らかだ。
日本の映画、音楽、文学で海外の評価の高いものは怪しいものが多い。
川端康成の「雪国」、
北野武の
「HANAーBI」など
私には無価値だ。海外の評論家を買収することなど政府の資金力を考えれば朝飯前だ。世界的には国内で無名だが海外で高い評価を受ける芸術がある。それは、ほとんど反政府的思想が強い。ところが、日本では、全て政治家と一体の俗物だ。これは日本の二枚舌のお手本のような事例だ。
そして七人の侍は
竹下派七奉行へと続く。この「七」という数字は当時から気になっていた。こじつけということはわかっていたが、ようやくその意味がわかった。
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